「……はい? 誰が何に入るって言いました?」
 フリーズが解けたかと思うと、ちゃんと聞き取れたであろう言葉を再度確認。
「御園生さん、本当に使えるの? 今、秋兄かなりストレートに答えたと思うけど……」
 眉間にしわを寄せて司が訊くと、
「現状を理解できないんじゃなくて、したくないだけだと思う。……大丈夫じゃない?」
 蒼樹はいたってのんきに答える。
「あの、"あきにい"って……?」
 あれ? そっち?
 そう思ったのは俺だけじゃなかったようだ。
「……この話の続きでなんでそっち」
 司が口もとを引きつらせていた。
 自分でやろうとした表情ではなく、相手によりやむを得なくさせられた表情。
 普段、人にペースを乱されることがない司にこんな顔をさせるとは――これは色んな意味で貴重かも。
「あぁ、僕と司は従兄弟なんだ。因みに、僕の弟は海斗っていうんだけど、翠葉ちゃんと同じクラスじゃない?」
「答辞の人……?」
「くっ、そうそう。その答辞の人が僕の弟」
 思わず吹き出すくらいにはツボだった。
 海斗、お前"答辞の人"でインプットされてるけど?
 わざわざ携帯にかけて教えたくなる何か。
「でもって、この学園には司のお姉さんもいるんだ」
「え? 藤宮先輩のお姉さんもいらっしゃるんですか?」
 そう、湊ちゃんはあの日この部屋にいた最後のひとり。
「秋兄? さっき集計したこのデータ。この指一本で消去できるけど?」
 パソコンカウンターで作業をしている司が右手を上げた。
 司がやっているのは明日の会議で必要になるデータだ。
「んー、それはちょっと困るかなぁ……。けど、その集計、またやらされるのは司だと思うんだよね」
 司と湊ちゃんは仲が悪いというわけではない。どちらかと言えば仲はいいほうだろう。ただ、湊ちゃんが司をいじりたがるのが悪いだけ。
「仕方ない。じゃぁ、湊ちゃんに関しては出逢ってからのお楽しみってことで」
 蒼樹も自分たちのやりとりを面白そうに眺めていた。
 彼女はというと、司の顔を見ては俺の顔を見る。"観察"って言葉がしっくりきそうなほどじっくりと。
 かわいいな……。
 蒼樹、こんな子ならいつでも預かってあげるよ。でも、やっぱり手っ取り早く生徒会に入ってもらおうかな。
 そのために必要な説明を試みようか。
「ここの建物、図書棟なんて言われているけど、実際には生徒が使える図書室じゃないんだ。設立当初は図書室として使われていたらしいんだけどね。今ではこの学園の生徒が使う図書館は高等部と大学の間にある梅林館」
 言いながら、本棚から取り出した学園全体地図と、この校舎のつくりが書かれているものをテーブルに広げる。
「この棟の主な機能は高等部の重要書類管理。三階がそうなんだけど、この部屋の奥にある階段からしか上がれないつくりになってるんだ。で、このフロア、二階は三つの部屋に分かれていて、一番奥には職員が普段必要とする資料庫がある。こちら側からも行けるけど、普段は鍵がかけてあって、一階の職員室からしか上がれないつくりになってる。その隣には不特定多数の生徒が入る梅林館では扱えない貴重な蔵書が置いてある書庫。そして、その隣がさっきこの部屋に入ってくるときに通った部屋。あそこは過去に生徒会で扱った書類なんかが置いてある。室内には放送機能も備わっているから生徒会室として使われてる。面白いくらいに一般生徒が入ってくる理由がない場所。それがこの図書室」
 彼女は一生懸命、頭の中で説明とさっき通ってきた場所を一致させているよう。
 その必死な様すらかわいいってなんだろう。必殺癒しアイテム?
「だから、生徒会役員になっちゃおうね」
 最上級の笑顔を向けると、彼女の顔が引きつった。
「い、嫌です。……というか無理なので、辞退させてください」
 顔に"無理"という文字を貼り付け、あっさり却下されてしまった。
「じゃぁ、翠葉。学校終わったらどこで待ってるつもり?」
 蒼樹が訊くと、
「え? 部活にも入らなくちゃいけないみたいだし、部活が終わったら図書館で待ってるよ? 図書館の方が大学にも近いのでしょう?」
 妹の当然すぎる発想に蒼樹が慌てる。
 神妙な顔をして、「実はな……」と話し出したかと思えば、
「翠葉、あそこは悪いムシがいっぱいいるんだ。翠葉はムシが嫌いだろ? やめておいたほうがいいと思う……」
 本当に、筋金入りのシスコンだと思う。決定。俺が烙印押してあげる。
 図書館は建て直したばかりだから虫は出ない。ただ、大学敷地内には軽く声をかけてくる男がいる、という程度。そんなことを知りもしない彼女は、
「……そんなに虫がたくさんいるの? それは、ちょっと嫌かな……」
 彼女は"ムシ"を本当の"虫"と勘違いして顔を歪めた。
「くっ……確かに、性質の悪いムシがいっぱいいるな」
 こちらの会話に司がため息をつき、
「御園生さん、相変わらずですね……」
 奇妙なものを見るような目で蒼樹を見ていた。
「ま、どこに行ってもムシはいるんだけど……それならここが一番いいんじゃないかな? 万が一、悪いムシが入ってきても僕が捻り潰してあげるよ」
「でも、生徒会役員はちょっと……」
 小さな声で拒否する彼女に、
「なんで? 生徒会ってそんなに嫌かな? 結構楽しいと思うよ?」
 訊くと、彼女は黙り込んでしまった。
 その困惑した表情を見ると、本当に自分がいじめてしまった気分になる。
 蒼樹が軽くため息をついて、彼女の頭をポンポンと叩くと、彼女はほんの少し蒼樹に身を寄せた。
 ふたり寄り添う姿に、本当に仲のいい兄妹なんだな、と思う。
 別に生徒会が嫌なら嫌でもいい。抜け道は作ろうと思えばいくらでも作れるし。
 ただ、彼女がどこか人と一線引こうとしているのが気にかかった。
 臆病だとは聞いていたけれど――。
「不安なのは体調?」
 カウンターから窓辺に場所を移した司が放った言葉。
 彼女は明らかに動揺した。
 司……それ、このタイミングで訊かないほうが良かったんじゃないか?
「なんで? ……蒼兄、なんで知っているの?」
 今にも泣き出しそうな顔をしている彼女。さすがの蒼樹も司を睨む。
 それはそうだろう……。ずっと話さずいたことには理由はあっただろうし、まさかこのタイミングで言われるとも思ってなかったはずだ。
 加えて、大事このうえない妹が泣きそうな顔をしているのだから、怒りを覚えないわけがない。
 悪い、蒼樹。不肖の従弟で申し訳ない。
 でも、口に出したものがなかったことになるわけでもない。
 仕方ない……フォローしますか。