翠からの電話が鳴り、図書室のロックを解除する。
 現在進行形でイベントの準備中。でも、準備は翠が仕事部屋に入ってから開始となるため、今のところ見られて困るものはすべて隠してあった。
 もちろん、簾条も書架の奥に潜んでいる。
「秋兄のところ?」
 わかりきった質問。
「はい」
「大丈夫なの?」
 声のトーンを落として訊くと、
「わからない……。気持ち上では大丈夫なはずなんです。ただ、体が拒否反応起こすというか――。でも、近寄りすぎなければ大丈夫だと思うから」
 と、すでに思いつめた顔をしていた。
 そんな顔を見ても、俺が口にできる言葉は限られている。
「……何かあればここにいるから」
 そう言って、カウンターの奥へと送り出した。
 近寄りすぎなければ大丈夫、って……。その時点で無理してるんじゃないか?
 それでも、そうまでしても秋兄に会いたいのか……。
 閉まったドアからしばらくは目が放せなかった。
「司?」
 茜先輩に呼ばれて振り向くと、
「翠葉ちゃん、何かあった?」
 茜先輩も俺と同じで仕事部屋のドアを見つめていた。
 生徒会メンバーには話しておいたほうがいいだろう。
「一端作業中断してこっちに集って」
 声をかけると、各々の作業をしていたメンバーがテーブルに着く。
「事前に知っておいてもらいたいことがある。今、翠は男全般がネックになってる。触れるとパニックになる。大丈夫なのは俺と海斗、それから一年B組のクラス委員、佐野のみだと思ってくれていい。だから、イベント中は細心の注意を払ってもらいたい。それから、簾条。簾条は常に翠の側についててやって。海斗、おまえは会場でアクシデントがあった場合、すぐに動ける場所にいること」
「「了解」」
 簾条と海斗が口を揃えた。
 ほかのメンバーは要領を得ないものの、
「じゃ、俺が茜先輩のエスコートするってことでいいよね」
 朝陽が確認のように口にした。
「頼む」
「俺は広報委員とクラス委員に人員規制を徹底するように念を押しておくわ」
 そう口にすると、優太は図書室を出ていった。
「不安なんて感じさせないくらい楽しいイベントにしなくちゃね」
 茜先輩が席を立つと、その場はイベントに備えて作業を再開した。

「ちょっと……大丈夫なの?」
 簾条がよそよそしく近づいてきた。
「翠は大丈夫って言うけど、全然大丈夫な状態には見えない」
「……あんたもよ」
 言われて思わず目を瞠る。
「さっき秋斗先生の部屋に見送るあんたの顔、珍しく人間らしかったわよ」
 唖然としていると、
「だから、大丈夫かって訊いてるのっ」
 と、少し声を荒げる。
「心配はしてる。でも、俺にできることは限られてる」
 言うと、
「……できることをやればいいじゃない」
 ぼそりと口にして簾条は作業に戻った。

 翠が仕事部屋に入って一時間半が過ぎた頃、奥のドアが開き、「司っ」と秋兄に呼ばれた。
「……翠葉ちゃん、頼む」
 言って、図書室を出ていく。
 瞬時に仕事部屋へ行くと、翠がソファの前で蹲っていた。
 過呼吸は起こしていないものの、その顔は涙に濡れ、悲壮感が漂う。
「翠……」
 声をかけると、泣いたままの顔で俺を見た。
 昨日も泣いていたけど、それとは比べられないほど顔中をぐちゃぐちゃにして泣いていた。
「無理はするなって言ったのに……」
 翠の前に膝を付くと、
「司、先輩……こんなの、やだ……。こんなの、嫌なのに――」
 言葉もまともに話せないくらいにしゃくりあげて泣いていた。
 昨日のテストで俺はクリアだったけど……。
「……とりあえず確認」
 手を差し出すと、彼女が自分の手を重ねる。
 大丈夫か……?
 昨日と同じように、手をつないだまま横に座る。
「俺はクリアね……」
 そこまでしてほっとする。
 翠はまだ全身を引くつかせて泣いていた。それをどうにかしたくて、「ほら」と翠の腕を引き寄せ肩を抱く。
 これは御園生さんが翠にやる接し方。ここ数ヶ月見ていて覚えた光景。
 俺では御園生さんの代わりにはなれないだろう。でも、今はこの方法しか思いつかない。
 一瞬、ビク、と肩を揺らしたけれど、翠はそのまま俺の胸に縋るようにして泣きだした。
 その様に安堵する。
 こんなつらい状態をひとりで堪えられなくて良かった、と。
 明日には秋兄に返事をすると言っていた。
 だから、それまでは側にいたかったのだろう。
 なのにこんな状況だ……。
 察するだけにつらいと思う。
 胸に縋って泣く翠の背中を自然とさすっている自分がいた。
 こんなふうに甘えてくれるなら、頼ってもらえるなら、ごく当たり前のことのように体が勝手に動くんだな……。