一時間ほど課題をこなすとお昼の時間になり、栞さんが作ってくれたオムライスを三人で食べた。
 朝、無理にでも食べたのが良かったのか、小さめに作ってもらったオムライスの半分は普通に食べることができた。そして、朝同様、お母さんが目の前を陣取ってにっこりと笑っていたため、残りの半分も時間をかけて完食させられた。
「碧さん、すごいですね」
 栞さんは尊敬の眼差しをお母さんに向ける。
「ふふ。だって私の娘ですもの。栞ちゃんよりは扱いに慣れてると思うわ」
「じゃ、私も見習わなくちゃ。留守を預かる身としては」
 ふたりはクスクスと楽しそうに笑っていた。
 食器を洗い終えると栞さんは帰宅し、私は少し横になることにした。
 お母さんはさっきの写真のデータを渡すと、早速依頼主にコンタクトを取ることにしたらしい。
 仕事の休みを取ったなんて言っても、結局は仕事をしていないと落ち着かないのだろう。もしくは、実際のところは休めるほどの余裕はなかったのかもしれない。

 二時半頃に目が覚め、ベッドの中で体温を計る。と、朝より少し上がっていた。
「それでも三十七度五分……。課題くらいはできるかな」
 リビングをのぞくとお母さんがリビングテーブルに資料を広げ仕事をしていた。
 私もリビングで宿題してもいいかな……。
 今年に入ってから、お母さんと過ごす時間がめっきりと減り、たまに帰ってくると一緒にいたい気持ちが強くなる。
「お母さん、私もここで課題をしてもいい?」
 お母さんは顔を上げ、にんまりと笑う。
「なぁに? 甘えっ子みたいに」
「そんなことないもん……」
 全然そんなことあるんだけど、ちょっと素直には認めがたい。
 お母さんはクスリと笑って、
「嘘よ」
 言ってすぐ、テーブルに広げていた資料を少し片付けてくれた。
「最近は家にいる時間が少ないから、あまり話す時間もとれなかったものね」
「うん……」
 栞さんや蒼兄はとても良くしてくれる。でも、やっぱりお母さんの代わりとはいかないわけで……。
 甘えてるのかな……。
 思いながら問題集を開いた。
「それ、学校の課題?」
「うん、未履修分野の課題。まだ数学が終わっただけなの。現国も半分くらい終わったけど、それでもまだ全体の六分の一も終わってない……。できれば、最短の一ヵ月半で補講を終わらせたいから、もう少しピッチ上げてがんばらなくちゃ」
 課題が終わったところで蒼兄にかける負担は変わらないのだけど……。
 問題は私が生徒会に入れるのか入れないのか。はたまた、入りたいのか入りたくないのか――。
 クラス委員ではない限り、生徒会の打診は蹴ることができないと桃華さんが教えてくれたけど……。ひとまず、六月の全国模試の結果が出ないことにはなんとも言えない。
 二十位以下だったら自動的に生徒会入りは却下になるわけだけど、それはそれで本末転倒な気もする。テストってそんなことを考えながら受けるものじゃないし、そもそも手を抜くなんて器用なことをできそうにはない。
「あまり根つめないようになさい。翠葉は集中すると周りのことが見えなくなるから」
「うん……気をつける」

 四時過ぎに一息入れようという話になり、栞さんが作ってくれたスコーンをトースターであたため直した。
 バターがたっぷりと使われているスコーンには苺ジャムとクロッテッドクリームがよく合う。
 お母さんはミルクたっぷりのミルクティー。私はカモミールミルク。
 カモミールミルクとは、あたためたミルクでカモミールを煮出したもの。それに少量のハチミツを落として飲むととても美味しい。
「まだ始まったばかりだけど、学校はどう?」
 訊かれて少し考える。
 体調のことを訊かれているのか、それとも学校生活のことを訊かれているのか。
 きっと両方だろう……。
 わかっていつつも私は片方にしか答えなかった。
「んー……体力的にはきついかな」
「友達はできた?」
 すぐに避けようのない質問を投げられる。
 お母さんはきっと気づいてる。小学校中学校と、私に友達がいなかったことを。それがゆえ、蒼兄に依存してしまっていることも――。
 わかっていて訊かれているのだと思った。
 観念して、思ったことを少しずつ話す。
「友達って……どいうものだったかな。模索しているのだけど、まだはっきりとはわからなくて……現在鋭意模索中。……でも、休み時間に話す人も、お弁当を一緒に食べる人もいるよ」
「どんな子たち?」
「すごく元気で……真っ直ぐ向き合ってくれる人たちだと思う。でも……どこまで信じて良くて、どこまで好きになっていいのかがわからない……」
「……なら、心行くまで模索してみるといいわ」
「うん……。でもね、中学のときとはちょっと違う気はしているの」
「たとえば?」
 お母さんはノートパソコンを閉じて、聞く体勢を整えてくれた。
 私はスコーンを一口食べてお皿に置き、カモミールミルクを一口飲む。それらが胃に到達した感触を得てから口を開いた。
「前の席は藤宮海斗くん。答辞を任されるほど頭のいい人。隣の席の子は立花飛鳥ちゃん。毎朝元気に挨拶をしてくれるの。後ろの席には簾条桃華さん。日本人形みたいにきれいな人で、クラス委員に立候補した人。……まだこの三人以外の人とはあまり話してないかな……」
 普通にお話しをしてお弁当を食べて……。傍から見たら"友達"に見えるのだろう。でも、"本当の友達"なのか、私には自信がない――。
 あとは何が話せるかな、と少し考え、昨日のお昼休みの出来事を話した。
「言わないで回避できたらいいな、と思っていたの。でも、ちょっと無理そうで、あぁ、また根掘り葉掘り訊かれて言いふらされちゃうのかな……って。半ば覚悟して話したのだけれど、返ってくる反応は全く違うものだった。……体のことを訊かれるでもなければ、話してくれるまで待ってくれるって……。いつか話してくれたら嬉しいって言われた」
「……そう、優しい子たちね。それにしても日の丸弁当って……」
 お母さんがお腹を抱えて笑い出す。
「飛鳥ちゃんだっけ? いいセンスしてるわ」
「うん、本当にこの子はイレギュラーだと思うの。蒼兄と車通学していることを知ったらなんて言ったと思う?」
「……そうね。たいていは車通学が羨ましいってところじゃないかしら? でも、違ったのね?」
 私はコクリと頷いた。
「ずるいとは言われたの。でも、着眼点が違った。蒼兄といつも一緒で目の保養したい放題じゃないって、目を輝かせて言われたの」
「あははっ! 面白いわ。いつかその子、家に連れていらっしゃい」
「予想外の反応ばかりで、私『褒めてくれてありがとう』って答えたのに、最後には疑問符つけちゃった」
「あははっ。翠葉の様子が目に浮かぶわ」
「本当に、何もかもが今まで周りにいた人たちと違って、どうしていいのかわからないの。嫌じゃないし怖いとも思わない。……でも、別のところでは怖いと思ってるかな……」
 ぬるくなったマグカップを両手でぎゅっと握る。
「感覚的に、すごく好きだなって思うの。思うんだけど、どこまで信じたらいい? どこまで好きになったらいい? ……その疑問がずっと頭の中にある。自分が傷つかないでいられる場所はどこだろう、って。一線引く場所を条件反射みたいに探している自分がいるの」
「そう……。いっぱい悩んで、考えて答えを出しなさい。ただ、人を傷つけるようなことはしちゃだめよ?」
 真面目な顔でそう言われた。
「翠葉がされて嫌だったことや、翠葉がされたくないと思うようなこと。そういうことを相手にしなければ、どれだけ時間をかけてもいいと思うの。友達は一瞬でできるものかもしれない。けどね、友情は育むものよ? 愛情と一緒。翠葉のペースで築いていきなさい」
「……はい」
 ここ数日の内に抱えた消化不良をすべて吐き出せた気がした。
 時間をかけてもかまわない、か――。
 でも、その時間を相手は待ってくれるのかな……。