少し落ち着くと司先輩が一言。
「記録更新……。俺、三日連続で翠の泣き顔見てるんだけど……。これ、新手の嫌がらせか何か?」
「……すみません。とくに嫌がらせをしているつもりはないんですけど……」
 ただ、タイミングよくそこに司先輩がいるだけなのだ。
「なんか、俺ばかりがこういう状況に遭遇している気がしてならない」
「ごめんなさい……」
「別にいいけど……。少しは落ち着いた?」
「……はい」
 思い切り鼻声で答えると、
「なら、そこで顔洗ってきて」
 そう言われるくらいには顔が涙でぐちゃぐちゃだった。
 かばんからタオルを取り出して思う。
 ……タオルはあるけど、髪の毛を留めるゴムはない。
「先輩、お願いが……」
「今度は何」
 呆れた顔で見られる。
「髪の毛、持っててもらえますか?」
「あぁ……」
 冷水で顔を洗うも、瞼が少し腫れている気がした。
 タオルで顔を拭いていると、
「これで目冷やして」
 と、氷が入ったビニール袋を渡された。
「ありがとうございます……」
「今三時か……。あと三十分で瞼の腫れ引かせろ」
「えっ!?」
 三十分って……!? そもそも、三十分で瞼の腫れは引くものなんだろうか?
「今日、誕生会なんだろ?」
 言われて思い出す。
 そのとき、司先輩の携帯が鳴った。
「はい。――もう大丈夫。――了解」
「……秋斗、さん?」
「そう、心配してた。姉さんをこっちのよこそうかって言われたから大丈夫って答えたけど?」
 確かに、もう大丈夫だ。
 先輩は私から秋斗さんのノートパソコンに視線を移し、それをシャットダウンする。
「あとでこの部屋に簾条を入れる。それまで目を冷やして少し待ってて」
 と、ノートパソコンを片手に部屋を出ていった。
 ……私がここにいるから秋斗さんは仕事ができないんだ。だから、パソコンを持って出るように司先輩に連絡してきたのだろう。
 どうしよう……私、厄介者だ――でも、もう泣かない……。
 今たくさん泣いたし、このあとはクラスメイトが誕生日を祝ってくれるのだから泣いてなんかいられない。人の好意は無にしたくないし、私はそこまで弱くないはず……。
 氷で目を冷やしつつ、ペチペチ、と少し顔を叩いた。
 三時半を回るとドアが開き、司先輩を先頭に桃華さんと里見先輩、荒川先輩が入ってくる。そして、どうしたことか、司先輩の服装が変わっていた。
 なんていうか、王子様――それこそ、ファンタジーの世界から抜け出てきたような格好。長いマントまでつけている。
「先輩……これから仮装大会でもするんですか?」
「……そんなところ」
 うんざりしたような顔を向けられる。
「翠葉、泣いたんだってっ!? ちょっと顔見せてっ」
 寄ってきたのは荒川先輩。
「ま、これくらいならなんとかなるわ」
 いったいなんの話だろう?
 不思議に思っていると、
「翠葉、これに着替えなさい」
 と、桃華さんから優しいピンクの衣装を差し出された。
「え……何?」
「「「ドレス」」」
 女の子三人の声がはもる。
「え……?」
 司先輩に視線を向けると、
「おめでとう。翠も仮装大会の招待客らしいな」
 と、口にして部屋を出ていった。

 あれよあれよと言う間に仮眠室に押し込まれ、桃華さんが着替えるのを手伝ってくれる。
「ブラはこっちに換えて?」
 と、コルセットと一体型のものを渡される。
 後ろが編み上げになっているので、どうやってもひとりでは着られない。
 仮眠室に入る前、着替えならひとりでできるから、と断ったのだけど、「絶対に無理よ」と一蹴されて一緒に仮眠室に入ったのだ。
「苦しくなる前にストップかけてね?」
 言われて、コルセットを締められる。
「ストップ」と、声をかけると、
「翠葉……あなた本当にウエスト五十六はあるんでしょうね?」
「……半年くらい前に測ったときはそのくらいあったと思うんだけど……」
「半年間放置……いい度胸してるわ。ま、いいわ。ドレスの前にペチコートを履いて」
 言われてふんわりとした真っ白なペチコートを渡される。最後に淡いピンクのドレスを着せられた。
 ドレスにはキラキラとしたビーズ刺繍が施されていてとてもきれい。
 こんなドレスは初めて着る。まるで結婚式のお色直しみたい。
 残念ながらここには姿見がないため、自分の全体像はわからない。
 早く見てみたい……。
「さ、次は茜先輩が着替えに入るから、翠葉は嵐子先輩にメイクしてもらいなさい」
 入るとき同様、追い出されるように仮眠室を出た。
「わっ! 翠葉ちゃんきれい!」
 そう言ったのは、髪形をきれいに整えられた里見先輩だった。
「先輩のほうがかわいいです」
 互いに見惚れていると、
「ほら、翠葉は早くこっちに来る! 茜先輩も時間ないんですからっ」
 と、荒川先輩に急かされた。
 荒川先輩は私を椅子に座らせると、ヘアクリップで前髪を押さえ、顔に薄くおしろいを乗せていく。
「翠葉は皮膚が薄いからメイクってメイクをするとかぶれそうね。うーん……チークとマスカラ、それにリップで十分!」
 聞きなれない言葉を耳にしつつ、顔に何かを施されていく。
「あとはこの長い髪の毛ね。ホットカーラー巻かせてもらうから」
 返事をする前に、クルクルと、髪の毛を巻かれていく。
「あの……これからいったい何が始まるんでしょう?」
「え? 聞いてないの?」
「クラスで誕生会をしてもらえるとは聞いていますけど……」
「あぁ、そうだった。それにうちが乗じちゃっただけだった」
 さっぱり意味がわからない。
「集計結果が出たのよ。姫はふたり、王子はひとり。茜先輩と翠葉、それから司よ」
 それは初耳……。
「それでどうしてこんなことに……?」
「桃華が面白いことしないかって話を持ってきたのよ。一年B組と生徒会は全員参加。ほかの参加者は抽選会を開いたの。んで、六十四人の当選者、総勢百人のみが参加できる姫と王子のお披露目パーティー&翠葉の誕生会ってわけ」
 ……は?
「抽選会なんて、いったいいつ……」
「昨日よ? あ、そっか……。翠葉には内緒で進めてたから、確か司が学校外に連れ出すんだったわよね?」
 と、また私の知らない話をされる。
 桃華さん、確かに私、今ものすごく驚いてます。それも、少々心臓に悪いほうの驚き。
 しばらくすると仮眠室のドアが開き、振り返ると荒川先輩に怒られた。
 白いふわっとしたドレスを着た里見先輩は、本当に砂糖菓子のようでかわいらしい。
「見て見て?」
 と、クルクルと回る様がさらにかわいく見せる。
「里見先輩、かわいいです……。おうちに持って帰ってショーケースにしまっておきたくなるくらい……」
「それ、あとで願いを叶えてあげるからね」
 と、とびきりの笑顔で言われた。
 それはいったいどういう意味だろう? 里見先輩のフィギュアでも存在するのだろうか。
 かわいい里見先輩を見ていたら、幸せな気持ちになれた。ついさっきまではどん底にいたのに……。
 すべてのカーラーを外され、最後にちょこんと頭にティアラを乗せられた。
 この自分の全体像はいつ目にすることができるのだろう。
「あの……姿見がどこかにあったら自分の姿を見てみたいです」
「それはね、久が撮ったデジカメのディスプレイじゃないと見れないことになってるの」
 ふふ、とかわいらしく里見先輩は笑うけど、それは私が写真に写るのが苦手だと知っていての確信犯なのだろうか。
「翠葉、心配しなくてもすごくきれいだしかわいいから大丈夫」
 にこり、と桃華さんが笑う。
 こんなふうにして、誕生会は決行された。