午前四科目、午後一科目で全国模試は終わった。
 昨夜教わったものばかりが出題され、一度も悩むことなく、迷うことなく答案用紙を埋めることができた。
 英語においては今までで一番できがよく、満点を採れるかもしれないと思うほど。
 司先輩とは昇降口で待ち合わせのため、海斗くんと揃って昇降口へ向かう。
 私たちのほうが先に着き昇降口で待っていると、階段を下りてくる司先輩が見えた。
 英語のテストのことをいち早く伝えたくて先輩に駆け寄る。
「翠葉っ、走るなって」
 海斗くんの言葉を無視して司先輩のもとまで走った。
「先輩っ、言われたとおりに最初に文法をメモしてから解き始めたら、一問も迷わずに解けました! 今回は満点採れるかもしれない! こんなこと初めてですっ!」
「…………」
 司先輩が珍しくフリーズしていた。
 一気に話し過ぎただろうか?
「……先輩?」
「……いや、なんでもない――っていうか、走るな」
「だって……早く伝えたかったから……」
「どっちにしろ一緒に帰るだろ」
 呆れた顔で言われる。
 しゅん、としていると、「よくやった」と頭をポンと軽く叩かれた。
 それが嬉しくて、
「ありがとうございました」
 答えると、またしても表情が固まる。
「……先輩はテストのできが悪かったんですか?」
 心配になり尋ねてみると、
「余裕がなければ人の勉強まで見ない」
 と、返される。……ということはテストのでき云々は関係ないらしい。
 どこか違和感を覚えつつ海斗くんと合流する。
「嬉しいからって走るなっ。俺の心臓に悪いだろ!?」
 そこまで言われて、だから司先輩もフリーズしてたのか、と納得する。
 これはひとまず謝らなくてはいけないだろうと思い、ふたりに頭を下げた。

 三人横に並び、のんびりと歩きながらマンションへ向かう。
 昇降口から学園入り口までが十分ほど、公道に出てから上り坂を百メートルちょっと。
 私が一緒だと二十分近くかかる。
「なんかさ、普段こんなにゆっくり歩かないからわからなかったけど――」
 海斗くんの言葉に耳を傾ける。けれども、その先を口にしたのは司先輩だった。
「ゆっくり歩くと風が吹いているのがわかるんだな」
「あっ、司もそう思った?」
 私の右隣を歩く海斗くんがひょい、と顔を前に出して、私の左側を歩く司先輩の顔を覗き込む。
「……それが普通じゃないの?」
 ふたりを見ると、返ってくる言葉は似たようなものだった。
「こんなゆっくり歩かねーもん」
「こんなのんびり歩かない」
 前者が海斗くんで後者が司先輩。
「それ、もったいないですよ?」
 私の言葉にふたりは「は?」といった顔をした。
「だって、ゆっくり歩けば道端のタンポポが咲いているのをじっくり見れるし、桜の季節には花吹雪の中にだっていられる。空を見上げて歩くと気持ちがいいし、キョロキョロしていると色んなものを見つけられる。少しずつ変わる季節の変化も見逃さずに済む」
 海斗くんは、「タンポポに空ねぇ……」と下を向いては空を見る。
「朝は部活に行くので必死だから前方しか見る余裕ないし、帰りは夕飯に早くありつきたくて、やっぱり前方オンリー。脇見する時間すらが惜しい!」
 なんとも海斗くんらしい登下校に笑みがもれる。
「先輩は?」
「……何かしら考えながら歩いてるから、視界に入っても入らなくても記憶には残らない。帰りはたいてい暗いから足元の雑草なんて観察するほどには見えないし、ここら辺明るすぎて星空はまず臨めない」
 ある意味とても司先輩らしいのだけど、どこか疲れたサラリーマンみたいな内容だ。
「あー……でも、だからかな? 翠葉と話してるとすごく新鮮に感じるのは」
「え……?」
「きっとさ、一緒に歩いていても俺らとは目に入れてるものが違うんだと思う。だから、話をしてても新鮮に聞こえる」
「……そんなに見てるものって違うのかな?」
「まぁね。言われるまで足元にタンポポがあるなんてて気づかない程度には」
 海斗くんは、ははっ、と笑った。
「でも、それなら森林浴をお勧めする」
「森林浴?」
「うん、私の趣味」
「くはっ、翠葉っぽいけど、でも森林浴って何すんの?」
「え? ただ緑がいっぱいのところで寝転がって空を見たり写真を撮ったり。それだけだよ?」
「それ、楽しい?」
「うん、私は好き」
 海斗くんと話をしていると、司先輩がため息をひとつついた。
「その趣味、あまりメジャーじゃないと思う」
「そうかな……?」
 首を傾げていると、
「でも、翠葉はそのままでいてよ。で、目にしたもの感じたものを教えて」
 海斗くんがそう言うと、マンションの入り口に着いた。

 エレベーターを十階で降りると、各々のドアポーチへと入っていく。
 海斗くんと司先輩は気づいていないのかもしれない。でもね、三人並んで同じ形状のドアポーチを開けるってそうそうないことだと思うの。
 ある意味、とても奇妙で面白い。そういうのにも気づかないのかな? ……もったいない。
 玄関を開けると、栞さんに出迎えられた。
「今日はどうだった?」
「答案用紙が帰ってくるのが楽しみです」
「あらあら、昨夜遅くまでがんばった甲斐があったわね」
「はい」
「お茶を淹れるから手洗いうがい済ませて着替えてらっしゃい」
 言われたとおりに洗面所で手洗いうがいを済ませ、客間でルームウェアに着替えた。
 リビングへとつながるドアを開けると、ローズヒップティの甘酸っぱい香りが漂う。
「痛みはどう?」
 うかがうように訊かれ、
「今は六時間おきに鎮痛剤を服用しています。薬が切れるタイミングですぐに次を飲むので、なんとか……」
「……投薬量マックスまで使っているのね」
 栞さんは思案顔でため息をついた。
「明日は学校から湊と病院へ行くことになってるわ」
「わかりました」
 明日は心電図に血液検査、尿検査と運動負荷テスト、起立性低血圧の状態を調べるODテスト、と一通り検査をすることになっている。
 明日の夜から延期させていた投薬が開始される。身動きが、取れなくなる。
 ……やっぱり、六日までは飲み始めたくない――。
 これは学校の都合とかではなく、完全な私のワガママだ。
 わかっているのに、どうして諦められないんだろう……。
 つらくなるのはほかでもない自分だ。そして、周りに心配や迷惑をかければ、それらはすべて自分へと返ってくる。
 わかっているのに諦められない。
 甘酸っぱいお茶を飲んでいると、
「翠葉ちゃん、プレゼントしたランジェリー試着した?」
 栞さんが嬉しそうに訊いてくる。
 その笑顔がまるで向日葵のように見えた。
 ううん、向日葵というよりはメランポジウムかな。かわいい小さな菊科の花の花言葉は、元気――。
「まだです。あのあと一時前まで勉強をしていたので、試着はせずに寝てしまいました」
「試着してみて? サイズが合わなければ交換してもらえるから。もっとも、陽子に限ってそんなことはないと思うけど」
「わかりました。試着してきます」
 席を立ち客間に戻る。
 いただいた大きな手提げ袋のまま部屋に置いてあったそれを開ける。
 ランジェリーにしては包みが大きいな、と思いながら中を開けると――。
「嘘……」
 柔らかい包みの中には七つのショーツとブラが入っていたのだ。
 しかも結構有名どころのブランド。それなりに高いのではないだろうか……。
 両親に加え秋斗さん、静さんの金銭感覚にも全くついていかれないけれど、もしかしたら栞さんと湊先生もそこに属すのかもしれない。
 でも、どれもかわいい……。
 お花模様の刺繍が施されており、白、黒、ベージュ以外の四色はすべてパステルカラーでピンク、黄色、ブルー、ラベンダー。
 同じデザインを色違い、というものらしい。……ということは、ひとつを試着すればいいことになる。
 試着してみるとびっくりするくらいぴったりだった。
 苦しくないしカップに胸がきれいにおさまる。カップ自体が浮くこともない。
 付け心地がいいことに驚いた。さらにはサイズを見てびっくりする。アンダーが六十二でカップがF。
 今まで一番小さいサイズだと六十五しか見かけたことがなくて、仕方なくそれを買っていた。けれども、カップはDだと小さくて、Eだと少し浮く感じ。ものによってはパッドを入れないと調節ができなかったのだ。
「これ、特注だったりしないよね……?」
 そのブラをつけたまま、ぴったりとしたTシャツを着てみる。ボトムにはデニムのロングスカート。
 これならどんなボディラインになるのかを見てもらえる。
 リビングに行き栞さんに声をかける。と、
「ぴったり?」
「はい! こんなに体型にぴったり合うブラは初めてで……。アンダー六十五の下ってあったんですね?」
「ふふふ、陽子の伝手ならではよ。そこのブランド、アンダーとトップを指定してブラを作ってもらえるの」
 ウィンクをされて、ぷる、と身震いする。
「それ、特注って言いませんか……?」
「ん? そうとも言うわね? でも、下着は素肌につけるものだし、身体のコンディションにも密に関わるからサイズ選びは重要よ? きちんとローテーションしてその都度手洗いすれば長く使えるし」
 あ……だから七つだったのかな?
「私も湊もいつもここでしか買わないの。それにしても……翠葉ちゃんったら羨ましいわ」
「え?」
「細いのに胸はちゃんとあるだなんて……」
「…………あの、こういうときはなんて受け答えしたらいいんですか?」
 もじもじしながら尋ねると、クスリと笑われてしまう。
「なんにでもきちんと答えようとするあたりが翠葉ちゃんらしいけれど、そういうときは適当に流しても問題ないわ」
 流す……ってどうすればいいのかな。
 考えていると、
「私、このあとお買い物に幸倉ショッピングモールへ行こうと思っているのだけど、翠葉ちゃんはお勉強?」
「いえ、明日の課題テストはいつもの勉強で間に合っているので、とくにまとまった時間を割かなくても大丈夫なんです」
「じゃ、一緒に行く?」
「……いいんですか?」
「いいわよ。もしなんだったら、私が買い物している間ひとりで行動していてもいいし」
「っ……本当にっ!?」
「えぇ」
 そんな会話の流れで、蒼兄と携帯を買いにきたショッピングモールへ出かけた。
 そこはちょうど学校と自宅の真ん中あたりにある。
「あ……私、警護対象者……?」
 駐車場に着き、車から出る直前に気づいた。
「大丈夫。ここの警備は藤宮警備が入っているの。さっき秋斗くんに電話をかけたから、こちらには気づかれないように、すでに警護班が動いているはずよ」
 もう少し考えてから行動するべきだった……。
 私の突発的な行動で予期せず動かなくてはいけなくなってしまった人たちに謝罪をしたい気分。
 でも、すでにショッピングモールに着いてしまっている。
「翠葉ちゃん、気にしないの」
「でも……」
「大丈夫だから」
 栞さんは私の手を引き歩きだした。