話をしている最中、思い出したかのように蒼樹が彼女に問いかける。
「そういえば……翠葉、何か食べたのか?」
「……食べてない、というよりは何も飲んでない、かな」
「えっ、そうなのっ!?」
 まさか、本当に朝からずっと寝っぱなしだったのだろうか? 途中で一度も起きることなく?
 それ、脱水症状になるんじゃないかな……。
 医療に詳しくない俺ですらわかること。
 すぐに蒼樹が立ち上がり部屋から出ていく。
 きっと何かを持ってくるのだろう。
 その蒼樹の後ろ姿をさも不安そうな顔で見つめる彼女。
 あのさ……目の前に俺がいるんだから少しは俺を視界に入れてくれないかな?
 いたずら心が芽生え、彼女の視界に入るように顔の位置をずらす。と、
「わっ――」
 反応は上々。
「……っていうか、目の前にいるんだからそんなに驚かなくてもいいでしょう?」
「……突然はびっくりするんですっ」
 彼女にしては珍しく声が少し大きかった。
「そっか。ごめんね?」
 謝りつつも満足をしている俺。
 ……自分、こんな単純な人間だっただろうか?
 思っていると、蒼樹がペットボトルふたつとグラスを手に戻ってきた。
 ペットボトルの内容はポカリスエットとミネラルウォーター。
 かなり不可解な組み合わせ。
 しかし、それを見てほっとした表情を見せたのは彼女。
 蒼樹はサイドテーブルでそれらを注ぎ出した。
 "それら"とはつまり、ポカリスエットと水のふたつを、だ。
 ポカリスエット一に対してミネラルウォーターが二。
「なんで割ってるの?」
 訊くと、蒼樹が苦笑をもらす。
「翠葉、スポーツドリンクそのままじゃ飲めないんですよ。普段なら半々くらいで飲めるんですけど、今はたぶんこのくらいに薄めないと飲んでくれない。だろ?」
 彼女は言葉は口にせず、引きつり笑いでコクリと頷いた。
「少しずつでいいから二杯は飲んでくれ」
 どうして蒼樹が遠慮気味にお願いするのかも疑問。
「本当に濃い味が苦手なんだね?」
 訊くと、苦い笑みしか返ってこなかった。

 六時を回ると栞ちゃんが帰ってきた。
「あ、翠葉ちゃん起きてるわね? それ、ポカリスエット? きっとお水で割って飲んでるんだろうから二杯は飲んでほしいわ」
 蒼樹と同じことを口にする。
「今、二杯目を飲ませてるところです」
 彼女の代わりに蒼樹が答えると、
「ならよろしい!」
 と、部屋を出ていった。
 栞ちゃんはこれから夕飯の支度に取り掛かるのだろう。
 彼女はというと、手元のグラスに残る液体を見てため息をつく。
 そんなにも苦痛なのだろうか……。
「食べるのって結構苦痛だったりするの?」
 訊くと、目が合ったのにすぐに逸らされてしまった。
「秋斗さん……。無駄に心臓が動きそうなので、その手の行動は控えていただけませんか?」
「……翠葉ちゃん、それは一種告白ととってもよろしいのでしょうか?」
 そういうこと、だよね?
「あ、れ……? 今、私なんて言いましたっけ?」
「……だから、無駄に心臓が動くって……」
「それ……告白? なんの告白?」
 人に訊く、というよりは自問自答のような言葉。
「あれ? 僕を見てドキドキするのはそういう意味じゃないの?」
 ダイレクトに訊いてみる。
「……そっか、そうですよね。……あれ? ……私、今、口にしてはいけないことを言ってしまった気がするんですけど――どうして?」
 彼女は蒼樹を仰ぎ見る。
「いや、別に言っちゃいけないってわけじゃないと思うけど……。翠葉、カロリー足りてなくて頭回ってなさすぎ」
 蒼樹は呆れてものが言えないという顔をしていた。
「翠葉ちゃん、今のはさ、僕のことを好きって言ったも同然だよ?」
 嬉しくて笑顔でそう言うと、
「……え、あ……わっ――」
 彼女はひどく慌てていた。そして、話を理解した途端に顔を赤く染める。
「くっ、反応遅っ」
 蒼樹はお腹を抱えて笑い出したけど、俺はひたすら笑顔だっただろう。
 だって、彼女が顔を赤く染めるだけでも嬉しいのに、今までで一番の赤さだと思えば嬉しくないわけがない。
 彼女は飲酒させても赤くなるのだろうか。そんな想像をしながら彼女を見つめる。
「今の、記憶から削除していただけると嬉しいのですが……」
「どうして?」
「えと……私が困るから」
「……そうなの?」
「そうです。だから、聞かなかったことにしてください」
 これ、普通に話しているように聞こえるかもしれないけれど、全然普通になんて話してない。
 だって、彼女はずっと蒼樹を見ているのだから。
 そして蒼樹も彼女の視線を真っ向から受け、その話に耳を傾けているんだからおかしい。
 我慢できずに笑い出すと、
「翠葉……。気持ちはわかるけど、俺を見たまま秋斗先輩に話しかけるなよ。俺が翠葉に話しかけられている気がするじゃん」
 蒼樹は顔を引きつらせてそう答える。
 良かった、この状況をおかしいと認識したのが俺だけじゃなくて。
「だって……蒼兄を見てるほうが落ち着くんだもの……」
「いや、そういう問題じゃないだろ……」
 仲のいい兄妹に加えて、面白い兄妹だな。
「本当におかしな子だね。そもそも、なんで困るの? その思考回路がわからない。だって、僕はすでに翠葉ちゃんに好きだって伝えているのにさ。――でも、面白いから聞かなかったことにしてあげる」
「いや……俺には翠葉の考えもわからなければ、そこで納得しちゃう秋斗先輩の心境もわかりかねるのですが……」
 蒼樹がこめかみを押さえながらため息をついた。
 そこへ、
「私も蒼くんと同意見」
 背後から栞ちゃんの声が割り込む。
「なんの話をしているのかと思えば、えらく奇妙な会話を聞いちゃったわ」
「変わった子だよね?」
 俺が同意を求めると、
「そうね。一筋縄じゃいかなそうね。さ、夕飯の準備ができたからご飯にしましょ! 翠葉ちゃんにはアンダンテのケーキ買ってきたわ。いつも同じものじゃ飽きちゃうから、今日はチーズタルト」
 栞ちゃんの一言で、その場は収拾された。

 ……一筋縄じゃいかないからこそ欲しいと思うのかな。
 最近、俺が欲するものはなかなか手に入らない。
 第一にはこの男、蒼樹だった。
 そしてふたつめが彼女。
 でも諦めずに時間をかけて、外堀を埋めることにしよう。
 ご利用は計画的に……ってね。