「このあと、秋斗先生のところよね?」
 ホームルームが終わると桃華が翠葉に声をかけた。
 どう見ても楽しんでる顔。
 きれいに笑って顔を少し傾げると黒髪がさら、と動く。
 この瞬間だけ見れば俺だって惚れそうだ。
 ただ、これに騙されちゃなんねぇ……。
「透明人間にでもなってその場にいたいわね」
 とんだ悪趣味だ。っつか、俺も同意見だけどさ。
「もっ、桃華さんっっっ」
 翠葉は相変らずトマトのよう。
 あーぁ……首まで真っ赤じゃないか。
「会う前からそんなに真っ赤なんだから、本人を前にしたらどうなるのかなんて想像に易くね?」
 俺がそう言うと、「え? なんの話?」と飛鳥が会話に加わった。
 翠葉はというと、机に突っ伏している。
 そんなことしたって飛鳥がそれくらいで引き下がるわけがない。
 案の定、しゃがみこんで翠葉の机に顎を乗せてしがみついている。
 その左手で、顔を隠している髪の毛をひょい、と払ってみせた。
「翠葉、顔真っ赤だよ?」
 そこに佐野がやってきて、
「つか、これどーしたん? 首まで赤いけど」
 と、口に出してしまう。
 そんなことを言われたらもっと熱持つんじゃねーの?
 いや、今以上に赤くなりようがないか……。
「初恋にじたばた中ってところかしらね」
「え? 相手は藤宮先輩?」
 飛鳥が持ち前の瞬発力で尋ねる。
 みんな面白いくらいに同じことを考えていたわけで……。
 すると、突っ伏していた翠葉が体を起こし、
「どうしてそこに司先輩が出てくるの? 朝、桃華さんも同じこと言っていたけど……」
 本人無意識無自覚極まりない。本当に困ったやつだよ。
「だってねぇ……?」
 飛鳥が桃華を見れば、桃華も「ねぇ?」と佐野を見る。振られた佐野も、「なぁ?」と俺を見る始末だ。
「ま、誰もがそう思ったわな」
 正直に答えると、「だから、どうして?」と心底不思議そうな顔で尋ねられた。
 翠葉さん、鈍感決定で……。
「翠葉、覚えてる? おまえ、球技大会のときに、散々今みたいに赤面してたろ?」
「そういえば」といった顔をして思い返しているみたいだけど……。
 翠葉、おまえさ、その意味をちゃんと理解してないだろ?
 それは司が少々気の毒に思える。
 あの司が唯一かまう女子が翠葉だ。
 俺みたいに妹のように思っているのか、唯一女と認識したのか。それすら俺にはわからない。けど、あいつにとって特別な存在なのは間違いないと思う。
「で、藤宮先輩じゃなければ誰なの?」
 飛鳥が先を促すと、
「そしたら、もうあとひとりしかいないじゃん」
 と、佐野が答えた。
 こいつもたいがい察しがいい。
「あっ、秋斗先生!?」
 ま、誰もが同じ人間にたどり着くか……。
 それくらい、翠葉がまともに話せる男は多くない。
「飛鳥ちゃん……声、大きい。っていうか、お願いだから名前出さないで――心臓壊れちゃう」
 手に持つ携帯のディスプレイを見ては目を逸らす。
 突如、「きゃぁっ」と携帯を放ったため、つい条件反射でキャッチした。
 手にした携帯は着信を知らせるために震えているわけだが、ディスプレイに表示された名前は"藤宮秋斗"。
 なんてタイムリーな……。
「翠葉さん、きゃぁ、って……。秋兄から電話が鳴っただけじゃんか。出るよ?」
 秋兄、どっかからこの教室内見てたりしないよな?
「もしもし」
『なんでおまえが出るんだよ』
 ひでぇ……。
 ま、翠葉が出ると思っていて俺じゃ仕方ないか。
「悪いね、俺で」
『翠葉ちゃんは?』
「目の前にいる」
『脈拍かなり速いんだけど』
「え? 脈拍?」
『そう、具合悪かったりはしないよね?』
 あれ? マジで心配してたりする?
 しゃぁない、教えてやるか……。
「あぁ、ただいま絶賛動揺中だからじゃね? 大丈夫だよ、元気っぽい」
『ならいいんだけど。そうだ、海斗、翠葉ちゃんを図書室まで送ってきてよ』
 今の会話からすると、もしかして翠葉の状態をわかってて電話かけてきてないか?
 この状態で秋兄の前に出れば間違いなく翠葉の想いはばれるんだろうな……。
 ――っていうか、もしかしたらもうバレてんじゃね?
「うん、すぐ連れて行く。じゃ」
 あーあ、翠葉さん、あの人性質悪いんだぜ?
 知ってる? 知ってて好きになった?
 司とはまた別の意味で苦労することになると思う。それは弟の俺が保証してあげよう。
 携帯を返すと、「何?」って顔をした翠葉。
「脈拍が速いからどうした? って。ひどいよねぇ。俺が出たら、『なんでお前が出るんだよ』って言われたけど?」
 翠葉はさっきからずっと赤いまま。
 だんだんかわいそうになってくるくらい。
「それにしたって……これだけわかりやすいやつも稀だよな」
 珍しいものを見るような目で佐野が言う。
 なんていうか、腰まで屈めて観察してるから結構ひどい。
「佐野くん、それ、嬉しくない……。誰かにポーカーフェイスの仕方を今すぐ伝授してほしいくらい」
 両手で顔を覆って口にする。
 なんとまぁ、かわいいことでしょう……。
「こりゃ重症だね」
 飛鳥はそう口にすると、何かを思いついたかのように理美を呼びつけた。
「何なにー?」
 理美が器用に机を避けてこっちに走ってくる。と、
「好きな人の前で上がらない方法を翠葉に教えてあげて?」
「ん? ……そうだなぁ、あえて言うなら、気持ち全開で接すれば上がりようがないよ?」
 なんだそれ……。
 翠葉も不思議そうに、「理美ちゃん、どういう意味?」と訊く。
「相手が好きな人って思っちゃうと上がっちゃうし動揺しちゃうけど、最初っからあなたが好きです! って状態で接すれば気持ちを隠してる部分がないから上がりようがないって話」
 理美らしい返答だった。
 中等部のころから理美は変わらず千里が好きだ。
 何度玉砕しても懲りずにあいつにまとわりついている。
 その根性は本当に大したものだと思う。
 今となっては千里も普通にそれを受け入れているから、ある意味不思議な関係。
「鹿島、それってただ開き直るってのとどこら辺が違うわけ?」
 佐野が当たり前すぎる突込みを入れると、
「だって、好きって気持ちなんてそもそも隠すようなものじゃないじゃん? こんなの隠すよりも知られてなんぼの世界よ?」
 いや、それはおまえの話だ。
 四年越しの片思いならそれもありだろうけど、恋愛初心者の翠葉には難しい気がする。
「理美は相変らずね。でも、私もその意見には賛成。好きなら好きでいいじゃない」
 桃華が理美の意見を後押しをする。
 そうだなぁ……桃華もきっとそういう人間なんだろう。
 好きなら好きでとっとと告っちゃいそうだ。もしくは、相手に告らせるように仕向けそう……。
 翠葉はというと、
「そういうものなの?」
 と、このまま納得してしまいそうだからなんだかな……。
「ま、気づかれてないならともかく、気づかれてるんだったら隠す必要なくね?」
 てんぱったままなのがかわいそうでそんなふうに答えたけれど、
「そう、なのかな?」
 疑い微塵も含まない目で見られると若干つらい……。
「ほら、たとえばコレ。佐野がいい例じゃん?」
 佐野を引き合いに出すと、「あ、なるほど」とすんなり納得してしまった。
 佐野には軽く睨まれたけれど、ま……怒るな怒るな。翠葉のためだ。
 その場が笑いに呑まれれば、翠葉の表情も少し和らいだ。