翌朝は栞さんに起こされた。
 どうやら、目覚まし時計を掛け忘れたうえに、基礎体温のアラームでも起きなかったらしい。
「すごく疲れていたのね」
 と、栞さんに笑われてしまう。
 基礎体温を計り終えると、すぐに学校へ行く支度を始める。
 バングルをはめてから、朝に血圧を測る時間を割かなくてよくなったため、少しの余裕ができた。……とはいえ、すでに七時前。
 急いで洗面を済ませ、制服を着てリビングへ出る。
 髪の毛には少し寝癖がついていたけれど、どうやっても直す時間はなさそう。
 最悪、車の中で結んでしまおうと思っていた。
 すると、朝食を食べている私の後ろに栞さんが立ち、髪の毛を梳き始めた。
「あまり頭動かさないでね」
 難しいオーダーをされ、極力動かさないようにご飯を食べる。
 すると、数分して「はい、できた!」と声をかけられた。
 ツインテールにされるところまでは動作を追えていたけれど、その先何をされたのかが定かじゃない。
 栞さんがファンデーションのコンパクトを出して見せてくれた。
 鏡には、頭の両サイドにふたつお団子ができていた。
 巻きつけるのには長すぎたのか、毛先二十センチほどはたれている状態。
「栞さん、器用……。もしかして美容師さんの資格も持ってたりしますか?」
「残念ながらそれはないわ」
「翠葉、そろそろ時間」
 言われて時計を見ると七時十五分を指していた。
 いつものようにふたり揃って家を出る。
 車に乗ると、蒼兄からピリピリとした感じが伝わってきた。
 普段穏やかな人なだけに珍しい。
「蒼兄、どうかしたの?」
 赤信号で話しかけると、
「翠葉、学校内でも誰かと一緒に行動しろよ?」
「え? たいていは飛鳥ちゃんや桃華さんと一緒だよ?」
「……ならいいけど」
 どこか不安を残した表情だ。
 学校に着いても昇降口までついてくる有様。
 警護がつくといわれたとき、確かに驚いたけれど、そんなに大ごとではないと思っていた。
 自宅のセキュリティレベルを少し上げるというだけで、日常はそんなに変わらないものだと思っていたのだ。
 けど、蒼兄の様子から見ると少し認識を改めなくてはいけない気がする。
 実はかなりおおごとなのだろうか? もしそうなら、いったいどれくらい大ごとなのだろう……。

 上履きに履き替え二階へ上がる。
 この時間は校舎内の人影は少ない。うちのクラスにいたっては、まだ誰も来ていないはず。
 そう思ってドアを開けると、桃華さんがいた。
 桃華さんは通常、ホームルームが始まる十分ほど前に登校してくる。
 私より早くにいた、ということは八時前には登校してきていたことになる。
「桃華さん、おはよう。今日は早いのね?」
「全国模試に向けて、翠葉に数学教えてもらおうと思って」
 なるほど……。
 桃華さんの机には数学の問題集が広げてあった。
「じゃ、私も英語の過去問わからないところ教えてね」
 言って、ふたり言葉なく問題集に取り掛かった。
 時間が経過するごとに教室の人口密度も上がる。気づけば、海斗くんと佐野くんも近くで問題を解いていた。
 挨拶を交わすと、
「今日からテストが返ってくるな」
 海斗くんの言葉に、
「そうね。九十点以下がないといいんだけど……」
 桃華さんが憂い顔で口にする。
「俺は御園生の点数が気になって仕方ないけどな」
 そう言ったのは佐野くんだった。
「……どうして?」
 訊くと、
「だって、御園生はあの試験期間に未履修分野のテストも突破したんだろ? それでこっちのテストもできてるんじゃ、はっきり言って嫌みだろ?」
 あぁ、そういう意味か……。
「実はね、私、試験とは全然関係ないことを悩んだ状態で受けてたから……。実際はテストの返却がちょっと怖いの」
「関係ないことって?」
 桃華さんにひょい、と覗き込まれる。
「将来のこと、かな……」
「「「はっ!?」」」
 三人とも何を言われたのかわからないって顔をしていた。
「将来って……将来だろ? 進学のことを悩んでんの? うちの学校にいればたいていの大学は行けるだろ? それとも何? 将来の夢?」
 そんなふうに訊いてきたのは目の前に座る海斗くんだった。
「夢、というか……職業?」
「それ、将来の夢って言わない?」
 と、佐野くんに突っ込まれる。
 うーん……難しいな。
「みんなは何かになりたいってある?」
 三人に訊いてみると、
「俺の就職先は藤宮警備って決まってるからなぁ……。とりあえず、進路っていう意味では、経営学には興味があるから大学はそっち方面受けるけど?」
 海斗くんは明確に進路を提示した
「俺は短距離を続けることは続けるけど、ゆくゆくはトレーナーかスポーツジムでインストラクターやりたいなぁ。あとは学校の体育教師っていうのも考えてはいる。大学は教育学部かな」
 こちらも佐野くんらしい答え。
「私は政治経済に興味があるからひとまず大学はその方面かしらね。でも、社会に出て何になりたいというのはとくにないわ。どこかの企業に入って、秘書課を牛耳るのが夢ってところかしら」
 クスクスと笑いながら口にする。
 そこに飛鳥ちゃんが入ってきた。
「何なに? 将来の夢? 私はねー、保母さん!」
「「「リポーターじゃないの?」」」
 私以外の三人が声を揃えた。
「え? リポーター? あれはさぁ、適度に知ってる人たちが出てくる試合を面白おかしく実況中継するのが楽しいんであって、知らない人たちを見ても面白くは話せないよ」
 と、笑って一蹴した。
「翠葉は?」
 飛鳥ちゃんに話を振られて苦笑いを返す。
「私は悩み中。自分に何ができるのかよくわからないし、選択肢に何があるのかも考えちゃう」
「バカね、選択肢なんて無限大でしょう?」
 桃華さんに言われ、
「そうそう。やる前から悩んでたって何も始まらないって」
 海斗くんにパシパシと肩を叩かれる。
 みんな前向きだなぁ……。
 そう思うと、あまりにも後ろ向きな自分を意識せざるを得なくなり、机にぺしゃんと這いつくばってしまう。
 みんな、「とりあえず」と言いつつも自分の行きたい方向がきちんと決まっていた。
 羨ましい……。
 目的地というか、目標物があることがとても羨ましい。
 私の向かうべきところはどこなんだろう――。
「五人の中で一番多趣味なのに、そんなことで悩むなんておかしいよ」
 飛鳥ちゃんに言われてみんなが頷く。
 確かに、一番多趣味なのはきっと私だろう。でも、それらが職業になり得るかと問われれば、何か違う気がした。