会議が終わると十一時を回っていた。
 舌打ちをしながらメール作成画面を起動する。
 まだ起きていてくれるといいんだけど……。
 起きているかを尋ねるメールを送ると、すぐに返信があった。
 車に乗りこみ電話をかける。と、メールの返信が早かった割には通話に応じるまで間があった。
 そこで思い出す。自分の着信時に流れる曲の設定を。
 今、彼女の携帯からはカーペンターズの「Close to you」が流れているだろう。それは、彼女が洋楽で一番好きな曲。
「どうして?」って首を傾げながら聴いているだろうか。
 そんなことを考えていると、
『はいっ』
 女の子らしい少し高い声に頬が緩む。
 なんていうか、会議で男の声ばかり聞いていた耳には新鮮すぎた。
「遅くなってごめんね」
『いえ』
「……なんか、笑ってる?」
『着信音に大好きな曲が流れて』
「知ってる。だから僕の着信音に設定したんだ」
『秋斗さんは今、お仕事を終えられたんですか?』
 こちらを気遣う声音は耳にも心にも優しく響く。
 少し蒼樹が羨ましく思えた。
 こんな子が妹だったらそりゃ猫かわいがりするだろうよ……。
「そう。頭の固い年寄り相手の会議は疲れるよー……。ところで、翠葉ちゃんの体調は?」
『大丈夫です』
「じゃ、明日は少し早くても平気かな?」
『でも、それじゃ秋斗さんがつらいんじゃないですか? 片道二時間もかかるのでしょう?』
「大丈夫。明日、朝八時には迎えに行くね。少し肌寒いかもしれないから長袖も用意しておいて」
 言って癒しの電話を切った。
 明日、彼女はどんな格好をしてくるだろうか。
 先日、司の大会で会ったときは白いふわっとしたワンピースだった。
 蒼樹が、「それはもう天使か妖精のようにかわいいです」と言ったのも頷けた。
 俺は何を着ていこうかな。
 そこまで考えて、
「あれ? 俺、意外と楽しみにしてる?」
 少し驚いた。
「……ま、こんな年下の女の子と出かけるなんてそうそうないしな」
 いつもとは違う相手に新鮮さを覚えているんだろうと納得した。

 家に着いたのは十二時前。
 軽く夕飯を食べシャワーを浴びたら時計は一時を回っていた。
 もともとが夜型人間のため、この時間をつらいとは思わない。が、さすがに明日の朝はどうだろう。
 普段は七時過ぎに起きれば仕事に間に合うが、明日はそれより早く起きる必要がある。
「……ある程度余裕を持って出るとすれば、六時過ぎには起きてるようなかな」
 それでも四時間以上は眠れる。なら問題ないか……。
 念のため、目覚まし時計のほかに携帯のタイマーもかけて寝た。
 
 翌朝、予想していたよりもすっきり起きれた自分を意外に思いつつ、コーヒーメーカーをセットする。
 どんなに時間がなくても朝はコーヒーを飲まないと頭が起きた気がしない。
 一通り身支度を済ませてコーヒーを味わう。
 パソコンを起動させ、ツールバーに目をやるのは最近の日課。
 朝起きてバイタルチェック、仕事を始める前にバイタルチェック、昼休みにバイタルチェック……。
 ことあるごとに画面右端にある彼女の鼓動を気にせずにはいられない。
「俺も蒼樹のこと言えないか……」
 あまりにも心配症な蒼樹のために作った装置だったけど、今となってはそれも定かではない。
 ただ、自分が気になって仕方ないから作ったような気すらする。
 単なるバイタルチェックなら、あんなに凝った装飾品にする必要はなかった。
 けれど、付けていることを負担に思ってはもらいたくなかったし、どうせ付けるなら喜んでもらえるものにしたかった。
 だから、普段はやらないデザインなんてものまでがんばって……。
 自分、どうしたかな。
 疑問はそのままに、かわいいお姫様を迎えに行くことにした。

 幸倉までは渋滞にはまることもなく、八時ぴったりに彼女の家に着いた。
 インターホンを鳴らすと、よく知った顔に出迎えられる。
 再従姉の栞ちゃん。
 そういえば、静さんの紹介で御園生家の手伝いに来てるって言ってたっけ……。
 看護師の栞ちゃんが彼女に付いていてくれるなら安心だな。
「翠葉ちゃーん、秋斗くん来たわよー!」
 栞ちゃんがリビングへ向かって声をかける。と、蒼樹とふたり揃って玄関へやってきた。
「蒼樹、その顔面白すぎるけど……」
「秋斗先輩、翠葉にだけは手ぇ出さないでくださいね」
 男にしておくにはもったいないきれいな顔に凄まれる。
 俺は蒼樹が手にしていた荷物を受け取り、
「きっと大丈夫」
 と、曖昧な返事をした。
 ……どうしようもないシスコンだな。
 でも、牽制される理由はわからなくもない。玄関に現れた彼女は本当にかわいかったから。
 彼女は淡い水色のロングスカートに白い生成りのシャツを合わせていた。
 優しい水色が彼女の雰囲気をより柔らかに見せる。
 そうだな……。今日一日、俺専属の妹になってもらおうか。
「じゃ、翠葉ちゃん行こうか」
「はい!」