球技大会が終わったかと思えば次のイベントへ向けて忙しくなる。
 しばらくはイベントとテストが交互にあるな……。
 思いながら、視線がうるさいテラスを突っ切り図書棟へと急ぐ。
 今回は何枚の写真をプリントアウトすることになるのか……。
 膨大な枚数を予想すればため息も出る。
 図書室にはまだ誰も来ていなかった。
 コーヒーでも飲みに行くか……。
 どちらにせよノートパソコンを借りに行かないことには仕事を始められない。
 そう思い、秋兄の仕事部屋へ通じるドアの前に立った。
 インターホンを押し、名前を告げればロックが解除される。
 いつものように室内へ足を踏み入れると、いつもとは異なる光景があった。 
 手前の応接セットに問題集を広げる翠がいる。
「翠はキャンプ不参加か……」
 長い髪がクッションの上できれいにまとまっていた。
 そうなるように座ったわけではなさそうだが、傷んでいない翠の髪は毛先までしなやかにまとまる。
「はい。先輩は……? 今日は部活じゃないんですか?」
「しばらくは生徒会が忙しいからこっち優先」
 部屋を横切り、突き当たりにる簡易キッチンへいくとカップとコーヒーを手に取った。
 ここにあるコーヒーはインスタントとはいえど、挽いた豆をフィルターにかけて入れるドリップタイプのもので意外と美味しい。
 家でサイフォンを使う秋兄ならではの、職場での拘りというやつだろう。
 そんなこだわりはあるくせに、普段の食生活は褒められたものじゃない。
 コーヒーより食生活に気を使えと、何度か言ったことがあるものの、それが改善されたためしはない。
「秋兄、そこのパソコン二台向こうに持っていくけどいい?」
「あぁ、いいよ。そっか、もうそんな時期か。あとで俺にも見せてね」
「どうぞご自由に」
 クッションに座る翠は不思議そうにやり取りを聞いていた。
 疑問に思うと右に首を傾げるのは翠の癖だろうか。
「気になる?」
 訊いてみると、
「はい、少し……」
 と、顔をもとの位置に戻す。
「先日の球技大会のときの写真。あれが一斉に生徒会のメアドに送られてくる。それを千枚までに絞るのが今回の仕事。しばらくはひたすらプリントアウト。選りすぐったものを広報委員と一緒に食道に展示準備」
 言うと、何か心当たりがあるような顔をした。
 外部生の翠は学校行事のほとんどを知らない。
 何か心当たりがあるとすれば、簾条あたりからもたらされた情報に違いない。
 そして、今抱えている仕事のひとつは翠に関わるものだった。
 球技大会ではさほど生徒会の仕事は多くない。
 基本は集計作業をしている人間たちをまとめ、各試合が滞りなく行われているかの確認をする程度。
 しかし、昨日は違った。
 簾条が厄介なことを言い出すからだ。……というよりは、集計をしていた簾条と佐野の話を聞いてしまったから、と言うべきか――。

「なぁ、さっきからすげー気になってるんだけど……」
 短距離走の特待枠で入ってきた特殊な人物、佐野明が簾条に声をかけた。
「御園生、かなり写真撮られてるっぽいけど、あれ大丈夫なんかね?」
「佐野も外部生だから知らないのね」
「何を?」
「この球技大会のあと、校内展示っていう副産物のようなお祭り騒ぎがあるのよ。写真はそのときに使われるの」
「何それ」
 集計の手を止め簾条を見ると、
「話をしてもかまわないわ。でも、手と頭は動かしてくれる?」
 隙のない笑顔で相手を萎縮させる。
「すんません……。で、それ、なんなの?」
「まぁ、人気投票みたいなものね、 相当数の写真データが生徒会所有のメールアドレスに送られてきて、それを食堂に張り出して人気投票するの。見事トップに選ばれた男子と女子は王子と姫って呼ばれて、文化祭で何かやらないといけないのよ。……あぁ、いい気味。あの男、しばらくは送られてくる写真に忙殺されるわよ」
 クスクスと笑う。
 簾条があの男と呼ぶのは俺くらいなものだろう。
 話に割って入りたいのは山々。だが、もう少し先を聞くことにした。
 簾条が副産物祭りを知っていて何も手を打っていないとは思えない。
「要は、それに応募するための写真ってこと?」
「そんなところね。一応打てる手は打ってきたつもりだけれど……」
「御園生全然気づいてないから警戒も何もしてなかったけど?」
「撮られること自体は防ぎようがないわ。だから、撮った人間の写真は押さえておくようにクラスにデジカメ渡してきてる。佐野も、現行犯見つけたらとっとと捕まえて念書押し付けといてね。はい、これ」
 すでに製作済みらしい用紙を佐野に押し付けた。
「……それ、なんなら俺も手を貸すけど」
 そんなふうに途中から会話に加わったのがそもそもの発端。
 簾条とは中等部の生徒会で一緒だった。
 仕事をやらせればこちらが要求したもの以上のことをやってのける。
 非常にいい手足だったわけだが、今年は生徒会の打診を蹴るためにクラス委員になったという。
「あら、藤宮先輩ごきげんよう」
 なんでここにいるのかがわからない。そんな目で見られた。
「今の話、翠の件だろ。どっちにしろ茜先輩の念書も委任される。なら、その念書を預かるくらいなんてことはない」
「ふーん……」
 今度は集計の手を止めて俺を見た。
「じゃぁ、これ」
 と、翠の写真を撮った人間のデータが入っているであろう、メモリカードと念書の用紙をセットで渡された。
「センパイは自主的にお手伝いいただけるんですよね。もちろん無報酬で」
 何を言われているのかと思えば、
「もうすでに大半は押さえにかかっています。全クラス委員のご協力を得ましたので。あとはこの集計の山を片付けて念書の回収に回るのみです」
 渡された用紙はすでに記入済みのものだった。
「私たち、当分集計から手が放せないので、回収に回っていただけますか? 先輩が校内を歩けば全校女子生徒が喜びますし、男子で歯向かう人間もいないでしょうから?」
 どちらにせよ翠が絡むものだ。どこで動いてもかまわないが、簾条に指図されるのだけはいささか気に食わない。
 それにこのお祭り騒ぎの校内を歩きまわるなど、冗談にもほどがある。
「簾条や佐野よりも俺のほうが集計は速い。なら、スプリンターに走りまわってもらうほうが回収率は上がるんじゃないか?」
 佐野は驚愕の表情をすぐに改めた。
「確かに、俺集計するの遅いし、簾条が悪徳政治家張りに裏取引してくるからこんなに溜まってるし……。効率が上がるならいかようにも動きますが?」
 殊勝なことだ。
「じゃ、今から二時間で半分は回収してこい。その間にこの山は粗方片付けておく」
「マジですかっ!? かなり分量ありますよ?」
「……どっちの話だ? 念書か集計か」
「その集計の山っすけど……」
 テーブルに散乱しているプリント用紙には全球技種目の勝ち負けや得点を記したものが点在している。
 クラス委員を買収するために仕事を引き受けたというところだろう。
 簾条もよくやる……。
「たいした分量じゃない。それより、大会が終われば生徒は帰る。すぐに行け」
 言うと、佐野は走り出した。

 集計を黙々とこなす簾条を見て、
「簾条、集計速度下がったんじゃないか? もっとピッチ上げろ」
 簾条は手を止めることはない。が、「何様のつもりよっ」という視線を向けてくる。
 女帝なんて言われているようだが、姉さんと比べればかわいいものだ。
 否、かわいげなど微塵もないが。
 "かわいい"というなら翠だろうか。いや、かわいいというわけではなくて、見つけたら保護しなくちゃいけない気がする奇妙な生き物。
 女は苦手だ。でもあれは何か別の生き物に思える。
 とても珍妙な生き物――。