続々とその垣根から人が出てくる。
「桃華さんっ!?」
 あっという間に周りを囲まれ、
「簾条からホームルームが終わる直前に内緒話を立ち聞きしに来いって不穏なメールが届いたんだ」
 と、和光くんが携帯を見せてくれる。
 メールにはおおむねそのようなことが書いてあった。


件名 :立ち聞き大会
本文 :翠葉の秘密が知りたい人は
    放課後、ここに集まって。
    ただし、
    面白半分で来たら許さないから。
    翠葉を大切に思う人だけが来なさい。

    簾条桃華


 ずいぶんとふざけた件名だけれど、中身の文章は――。
 そして、メールにはこのベンチの写真が添付されていた。
 顔を上げると、周りにぐるりと携帯の画面を表示させたクラスメイトがいた。
 みんな私にメール画面を向けている。
 誰も笑っている人がいなかった。
 それどころか、希和ちゃんや理美ちゃん、女の子がちらほらと泣いていた。それを支えるように男子が立っている。
「せっかくこの学校に入ってきて同じクラスになれたんだ、焼ける世話くらい焼かせろや」
 そう言ったのは河野くん。
「翠葉、このクラスの大半の人が翠葉がひとつ年上なことを知っていたわ」
 桃華さんに言われて目を見開く。
「どう、して……?」
「瀬川、説明してあげたら?」
 桃華さんが声をかけると、後ろの方にいた瀬川くんが円の中に入ってくる。そして女子の保健委員、亜美ちゃんも。
「俺ら保健委員さからさ、このクラスの保健カードとかの整理に駆り出されるんだよ。そのとき、生年月日を知った。最初は記入間違いだと思ってたんだけど……」
 瀬川くんの言葉を亜美ちゃんが継ぐ。
「間違いがあるといけないから、移動教室の合間にクラスの女子数人と川岸先生に訊きに行ったの。そしたら、間違いじゃないって先生が……。でも、本人が言うまでは言うなって言われていたから誰にも話してないよ?」
 そして佐野くんが、
「そのほかで知った人間もいる。移動教室のときにチェッカーに学生証を通すだろ? その学生証を見れば気づく」
 うちの学校は移動教室で特別教室に入る際には全員の学生証をチェッカーに通すことになっている。
 教室とは違う席順になることもあり、カードを通すことで出欠確認が容易に取れるかららしい。
 特別教室の机上にもカードを入れておく装置があり、そこに学生証を挿入しておくと、誰が発言したのかが、教卓でわかる仕組みになっている。
 そして、学生証とは、いわば学生であることを照明するカードであり、学校名のほかには名前、生年月日、住所などが記載されている。
 私、ものすごく迂闊だったのではないだろうか。
 机の上に出しっぱなしにしていたことも何度かある。
 迂闊を通り越して無用心このうえない。
「でもさ、誰も何も言わなかっただろ? 誰も態度変えなかっただろ?」
 後ろから海斗くんが現れる。
「うちのクラスはこういうクラスだよ?」
 飛鳥ちゃんが私のすぐ右側に座った。
「だからさ、もっと楽しもうよ」
 希和ちゃんが涙を溜めた目で言った。
「御園生はさ、がんばるのと諦めるの、どっちが簡単?」
 そう言葉を投げたのは佐野くんだった。
「どっちも――どっちも私には難しい」
「俺はがんばるほうが楽。諦めるのはさ、不完全燃焼でずっと燻り続けるから」
 それはわかる……。
「俺もー」
 と、声をあげたのは高木理一(たかぎりいち)くん。
「あのときもっと全力で走ってたらあのボール奪えたかもしれない、とかさ。もっといいセンタリング出せてたらって思うときは、たいていどっか諦めて試合やってるときなんだ。でも、試合ってやり直しきかないからさ」
 彼はサッカー部だ。ゆえにそういう思いをしたことがあるのだろう。
「内容は違うかもしれない。でも、みんな一緒だよ? みんな何かに必死なの。恋愛だったり部活だったり勉強だったり趣味だったり。そういうの、周りの人は手伝えることあるでしょう? 相談に乗ったり、一緒にストレッチやったり、攻撃方法教えたり。勉強なんて得意分野教えあうのが普通だし……。だから翠葉ちゃんが苦しいときに手を貸せるのは嬉しいことだし、普通のことだよ?」
 一生懸命話してくれたのは、普段人前ではあまり話さない園田志穂(そのだしほ)ちゃんだった。
「こんなクラスメイトを残して高校なんて辞めてみなさい。みんな日替わりで家まで迎えに行きかねないわよ?」
 桃華さんの手が背に添えられた。
「桃華さん――どうしよう……」
「まだ何か悩んでるんじゃないでしょうね?」
「違う」
 と、首を横に振る。
「なんだよ」
 海斗くんに小突かれて、
「大切なものが増えると困るの」
 ぎゅっと目を瞑り答える。
「なんだよそれ……」
「何それ」
 ところどころから声がする。
「だって――自分が何を返せるのかやっぱりわからない。もし何も返せなくて、大好きだと思った人たちが周りからいなくなってしまったら? そのときこそ、絶対に耐えられない――」
 左から佐野君に小突かれた。
「バーカ……。御園生は頭いいくせにバカだ。それが杞憂だって言ってるんじゃんか」
 ……確か似たようなことを司先輩にも言われた気がする。
「ホント、翠葉ちゃんって頭いいくせに学生証置きっぱだったり結構ドジ」
 小川くんが芝生にごろんと横になると、それまで周りを囲んでいたクラスメイトたちが次々と転がりだした。
 そんな中、希和ちゃんが目の前に来ていつものようににっこりと笑う。
「翠葉ちゃん、重たい荷物はみんなで持つものなんだよ」
「そうそう、みんなで手をつないでね。荷物の中には持ってあげられないものもあるけれど、そういうときは周りで支えになれるようにがんばるの。友達ってそういうものだよ」
 香乃子ちゃんが教えてくれた。
 桃華さんはというと、ひとりベンチに座り悠然とかまえていた。
「うちのクラスいいクラスでしょう?」
 と、それはもう自慢げに微笑むのだ。
 さっきから涙で目の前があまりよく見えてない。
 でも、クラスのみんながそこにいるのはわかってて、曇り空の下だというのに、まるで陽があたっているかのようにあたたかくて柔らかな空気がここにある。
「はーい! 依頼されてやってきましたー! 桃ちゃん、これを撮ればいいんだよね?」
 現れたのは加納先輩で、首にデジ一を引っ提げ、脚立を持ってやってきた。
 何……?
 不思議に思っていると、クラスの人間がぎゅうぎゅうに寄ってきて、脚立に上がった加納先輩のカメラを見ていた。
「翠葉ちゃん、笑って! 記念撮影だよ!」
 脚立に跨る加納先輩に声をかけられた。
「え……?」
「ほら、みんなもっ! 翠葉ちゃんが笑わないといい写真になんないよー!」
 加納先輩の言葉に触発されたかのように、あちこちから手が伸びてきてくすぐられる。
「きゃっ、や……ちょっと待ってっ――」
 あわあわしているうちに何枚もシャッターを切る音がした。
 挙句には、部活に行く途中通りかかった人まで乱入する騒ぎとなり、膨大な枚数の半分以上には、そのとき桜香苑にいた人たちの集団写真になっていた。

 あのときの、あの場のあたたかい雰囲気をそのままに閉じ込められたかのその写真は私の宝物。
 私はきっとこのクラスとの出逢いを一生忘れないし、この場に集ってくれた人たちを決して忘れはしない。
 写真に写る大好きな友達はスターダストのようにキラキラと光っていて、まるでみんながみんな、向日葵のような笑顔だった。
 今、その写真は自宅の飾り棚と手帳の中に挟んである。
 写真には海斗くんの字で、"Union is strength!"と書かれてあり、桃華さんの流麗な筆記体で"While there is life,there is hope."と書かれている。
 "団結は力なり"と"命ある限り希望あり"。
 桃華さんのメッセージは以前湊先生に言われたことがある。
「死ぬな」――とても直接的なメッセージ。
 その言葉は重い。けれど、何よりも強く真っ直ぐ心に響いた。
 私はこの日を忘れない――。