「あの……秋斗さんはどうして"俺"と"僕"を使い分けてるんですか?」
 そう訊いたとき、図書室の入り口が開いた。
 先に私を中へ入れると、
「それは、自分を抑制するため、かな……」
「なんですか、それ……」
 カウンターへ歩きながら訊く。
「いや、翠葉ちゃん相手には"僕"であるほうが、翠葉ちゃんがいいと思ってね。もし、翠葉ちゃんがかまわないなら"俺"にするけど……どうする?」
 怪しい光が目に灯る。
 気分的にはライフカードの選択を迫られている気分なわけで……。
 テーブルでカウンター寄りに座っていた春日先輩がこちらを振り向いた。
「秋斗先生、なんつー会話してんですか」
 いつものように明るく会話に混ざってきた春日先輩に、
「何って、そういう話」
 と、なんでもないことのように答える。
「それってつまり……」
「ん? 俺ね、今、翠葉ちゃん口説き中だから邪魔しないでね」
 にこりと笑って答えると、私はカウンターの奥へと追いやられた。
 秋斗さんの言葉にもびっくりしたけれど、春日先輩が気になって後ろを振り返ると、
「マジでっ!?」という顔をしていた。
 そうこうしている間に仕事部屋のロックが解除され、中へ連行されてしまう。
 春日先輩はどう思っただろう。……というよりは、あの場にいたメンバー全員に聞かれてしまったのではないだろうか。
 ダイニングスツールに掛けた秋斗さんに、
「嫌だった?」
「……何が、ですか?」
「あそこにいたメンバーに知られるの」
「嫌、というよりは恥ずかしくて……」
 視線は床に落ちてしまう。
「ごめんね? でも、翠葉ちゃんの周りにいる男どもは一応牽制しておかないとね」
 と、にこりと笑う。
 きっと何を言っても無駄だろう。秋斗さんが行動を改めるとは思えない。
「あのね、僕に好かれるのは開き直ったほうがいいと思うよ?」
 そう本人が言うのだから間違いない。
「開き直れるように努力します……」
 答えれば笑われてしまうのだからたまらない。
「あまり笑うと篭りますよっ!?」
 少し睨んでみると、効果はあったようななかったような……。
「笑わないしいじめないから、そこにいて」
 微笑むと、何事もなかったように仕事を始めてしまった。
 一度集中してしまえばとくに何を意識することもなく、暗記科目に時間を費やすことができた。
 三時を回ると司先輩が入ってきて、ダイニングテーブルに勉強道具を広げた。
「あれ? 司、今日は湊ちゃんのところに真っ直ぐ帰らないの?」
 秋斗さんが尋ねると、
「御園生さんが迎えにくるまで」
「なんで?」
「見張り」
 短いやり取りの末、
「こっちにかまってないで仕事すれば?」
 司先輩の一言に秋斗さんは苦笑した。

 五時半を回ると蒼兄が迎えに来た。
「翠葉、帰れるか?」
「うん。ちょっと待って、この問題だけ終わらせたい」
 解きかけだった問題を解くと、問題集をかばんにしまった。
「司がこの時期ここにいるのは珍しいな? いつもだったら湊さんちで勉強してるだろ?」
 蒼兄が司先輩を見やる。と、
「自分、感謝されてもいいと思います」
「は?」
「俺がいなかったら翠は秋兄に取って食われてたかもしれませんよ」
 な、なんてことをっ!?
「ひどいな、司。取って食いやしないよ。ただ愛でるだけ」
 秋斗さんもっ、そんな受け答えはやめてくださいっ。
 慌てているのは私ひとりで、
「翠葉、人気者だな」
 蒼兄は和やかに答えた。
 なんか、いつもと違う……。
 思わず蒼兄の顔をまじまじと見てしまう。
「翠葉ちゃん、ふたりとも知ってるから」
「え?」
 何を……?
「僕が翠葉ちゃんに打診していること」
「何を、ですか?」
「つまり、僕が君に好きだと言ったことや、付き合いたいと思っていること、かな?」
 ……嘘っ!?
「本当は翠葉の口から聞きたかったんだけど……」
 蒼兄が言えば、
「俺はちゃんと翠から聞きましたけど?」
 と、答える司先輩。
 何!? なんなのっ!?
「あ、どうやらパニック起こしてるみたいだから連れて帰りますね」
 まるで物か何かを扱うみたいに言う蒼兄が信じられない。
 背中を押されるがままに図書棟を出ると、真っ直ぐ駐車場へ向かう。
 歩いている途中、蒼兄が口を開いた。
「森林浴から帰ってきた日、あまりにも翠葉がおかしかったし、夜中には高熱出すしでさ。翌日、先輩を問い詰めてしまったんだな……」
 そんなふうに白状する。
「それで知ってた」
「……そうなのね。今日くらいには蒼兄にも話せそうだったからいいのだけど……。でも、自分の知らないところで話をされているのはちょっと嫌……」
「そうだよな、ごめん」
「いつもなら牽制しに入るのに、普通に見守られているから何かと思っちゃった」
「それね……。いつものノリなら確かに牽制もするんだけど」
 と、一度言葉を区切った。
 なんだろう、と思って蒼兄の顔を見上げると、一陣の風が舞い込む。
 蒼兄の柔らかい髪の毛も、私の長い髪の毛もふわっと巻き上がり、手で髪をおさえようとしたら何か聞こえた。
「何? 聞こえなかった」
「本気なんだってわかっちゃったんだ」
 こちらを向いた蒼兄は苦笑い。
 苦笑いというよりも、どこか諦めたような笑いだった。
「秋斗先輩、遊びでも気まぐれでもなんでもない。ちゃんと翠葉を見てるんだ。だから、その先は翠葉しだいだな、と思って」
 その言葉には何も返せなかった。
 十分わかったつもりでいたけれど、人から聞くのと自分でなんとなく理解しているのは違うみたいで……。
「さすがにさ、いくら兄バカでも妹の気持ちに介入するほど愚かじゃないよ。ここからは翠葉ひとりの問題だ。……迷ってることや悩んでることならいつでも聞く。でも、最後に答えを出すのは翠葉じゃなきゃダメだ」
 言われていることは難しいことでもなんでもなくて、たぶん当たり前のこと。
 そのあと、私に向けられた眼差しはとてもあたたかく優しいものだった。
「正直、どうしたらいいのかわからないの。お試しで恋愛なんて言われてもぴんとこないし……。ちょっと逃げたい気分。秋斗さんのこと嫌いじゃないけど、答えは"Yes"か"No"の二者択一なのかなんかやだな……」
 そんな話をしていると車に着いた。
 帰りはアンダンテに寄ってケーキを買ってくれた。
 それは、「ちょっと立ち入りすぎたお詫び」らしい。
 私には苺タルト、蒼兄はチーズタルト、栞さんには季節のフルーツタルトを買って帰った。