「――お放し下さい。
これをお届けしないと、いけないんですよね?」
毬は自分の力では腕を振りほどくこともできず、泣きそうな声で呟く。
「そうだな。
今日のところは放してあげよう」
今日のところは、と、念を押すように二度言うと帝はようやくその手を放した。
「失礼します。
安倍様、ご来客でございます」
毬は静々と告げ、帝をその場に案内した。
雅之すら、それが一瞬毬だとは思えないほどの変貌振りであった。それゆえ、唯亮もこの女房が先日見た天女を思わせた左大臣の姫だとは――あるいは、自分が先日助けた千(の身代わりをしていた姫)だとは――気づかなかったようだ。
「分かった」
何度聞いても耳に慣れない冷たい声に、毬は一瞬心を凍らせそうになるが、何でもない顔でその場を後にした。
その姿をじいと、失礼なほど和子が見ていることには気づかぬままに。
「龍星、頼まれたもの持ってきたぞ」
帝が、まるで旧くからの友人のような軽口で、御簾の向こうの龍星に声を掛ける。
龍星も御簾から顔を出した。
同じく、旧くからの友人を見るような瞳で帝を見る。
「それはどうも。
では、早速その正体をお見せするとしましょう。皆様、こちらのほうへ」
そうして、素早く雅之を捕まえると彼だけに聞こえるように耳元で何かを囁いた。
「了解」
雅之は言うと、皆とは逆方向へと足を進める。
「……今の女房を連れてきてくれと安倍殿に言われたのだが」
控えている場所、几帳の向こうで雅之の声がするので、毬は思わず笑う。
「……私よ、雅之。
気づかなかった?」
ちょこんと、几帳からうさぎのように飛び出した、いつもの笑顔を持つ毬に雅之は呆気に取られる。
「結局、前髪両方切っちゃった」
毬はさっきまでの緊張感などなかったかのように笑う。
雅之も釣られて頭をかいた。
「毬……だったんだ。全然気づかなかったよ」
「良かったー」
幼子のように、無邪気に毬が笑う。
それだけで、途端にぐっと年齢が下がったように見えるから不思議なものだと雅之は思う。
これをお届けしないと、いけないんですよね?」
毬は自分の力では腕を振りほどくこともできず、泣きそうな声で呟く。
「そうだな。
今日のところは放してあげよう」
今日のところは、と、念を押すように二度言うと帝はようやくその手を放した。
「失礼します。
安倍様、ご来客でございます」
毬は静々と告げ、帝をその場に案内した。
雅之すら、それが一瞬毬だとは思えないほどの変貌振りであった。それゆえ、唯亮もこの女房が先日見た天女を思わせた左大臣の姫だとは――あるいは、自分が先日助けた千(の身代わりをしていた姫)だとは――気づかなかったようだ。
「分かった」
何度聞いても耳に慣れない冷たい声に、毬は一瞬心を凍らせそうになるが、何でもない顔でその場を後にした。
その姿をじいと、失礼なほど和子が見ていることには気づかぬままに。
「龍星、頼まれたもの持ってきたぞ」
帝が、まるで旧くからの友人のような軽口で、御簾の向こうの龍星に声を掛ける。
龍星も御簾から顔を出した。
同じく、旧くからの友人を見るような瞳で帝を見る。
「それはどうも。
では、早速その正体をお見せするとしましょう。皆様、こちらのほうへ」
そうして、素早く雅之を捕まえると彼だけに聞こえるように耳元で何かを囁いた。
「了解」
雅之は言うと、皆とは逆方向へと足を進める。
「……今の女房を連れてきてくれと安倍殿に言われたのだが」
控えている場所、几帳の向こうで雅之の声がするので、毬は思わず笑う。
「……私よ、雅之。
気づかなかった?」
ちょこんと、几帳からうさぎのように飛び出した、いつもの笑顔を持つ毬に雅之は呆気に取られる。
「結局、前髪両方切っちゃった」
毬はさっきまでの緊張感などなかったかのように笑う。
雅之も釣られて頭をかいた。
「毬……だったんだ。全然気づかなかったよ」
「良かったー」
幼子のように、無邪気に毬が笑う。
それだけで、途端にぐっと年齢が下がったように見えるから不思議なものだと雅之は思う。


