「違うの、龍。
 私、お姉様の代理で嵐山に行くのよね?
 前髪、やっぱり切っといたほうが良かったんじゃないかと……。
 そう思っただけなの。
 いまさらもう、遅いのだけれど」

 平安時代、貴族の社会では、毬も含め裳着前の子供は前髪を全て後ろに流しているが、裳着のときにそれを切って横にたらすという習慣があった。

 明日のための着物は既に準備してあるが、毬の髪型にはまるで手が加えてない。

 御所であれほど裳着を嫌がった経緯があるので、皆が遠慮して口に出せなかったというのが正直なところではある。一度切った前髪は、かなりの時間を費やさなければ、元の長さには戻るまい。

 龍星はその、黒曜石の如く黒い瞳で、真っ直ぐに毬の瞳を覗き込む。

「衣被をつけているのだから、髪形は問題ない」

「でも」

「どうしても気になるなら、俺が今から切ってあげるよ?」

 龍星はそう言ってから、ふわりと微笑む。

「俺は、どっちの毬も変わらず大好きだから。
 毬の気が済むほうにすれば良い」

「このままでも……問題、無い?」

「無い無い。
 だけど、毬がそんなに沈んでいるのは大問題だな」

「どうして?」

「心配で目が離せなくなる」

 歯の浮くような台詞をここまで真顔で言われると、それはある意味犯罪ではないかと毬はちらりと思ってしまう。
 そのくらい、龍星は真剣な顔で、毬に甘言蜜語を惜しげもなく囁くのだ。



 そう、時折。
 まるで何かを思い出したかのように。