ボロくさい宿屋が立ち並ぶ一角に、酒場が軒を連ねている路地があった。

そのうちの一軒、看板の留め具が片方はずれ、虚しくユラユラゆれているペッシュ酒場は、商人や護衛士たちがたむろする安酒場だった。

店の中には、安い酒の匂いと、安い煙草の煙と、汗の染み込んだ男たちの身体の匂いが、むっと籠もっている。

それぞれ違う人種が酒を飲んでいて、さまざまな言葉が入り交じり、顔を近づけて話さなければ、互いの声が聞き取れないほどの騒々しさだった。

片隅の板壁には、小さな丸い円が書いてあり、酔った男たちが、代わるがわる、その円を的にして短刀を投げていた。

「おい、おまえはやめとけ!あぶねぇから!」

仲間が止めるのも聞かず、べろべろに酔った男が、ひょいと短刀の刃を持つと、思いっきり的へ投げた。

短刀は的へむかって飛ぶどころか、大きく逸れて回転しながらとんでもない方向へ飛んだ。

「あぶねぇ!」

誰かが叫んだ。

短刀は入り口のそばの席に座っている小柄な男にむかって飛んでいく。

男は、この町では珍しい身なりでパーカーのフードを深く被り、ヘッドホンを首にかけていた。

考えごとをしていた男は、すんでのところで気配を察すると、反射的に自分の短剣を抜き、カチーンッと短刀を弾きあげるや、落ちてきた短刀の柄を左手でつかんだ。

ほおっと感嘆のため息が、男たちのあいだから洩れた。

短刀を投げた酔客は、男がふりむくと首をすくめた。

十五、六くらいだろうか。

フードの中から見えた顔は、精悍な顔立ちで赤目だった。

男はただ黙って見つめているだけだったが、周囲の男たちは、なんとなく気圧されたように静かになってしまった。

男に見つめられて、短刀を投げた酔客は、酔いがさめた顔になった。

男が手で短刀をもてあそんでいるのを見ながら、カタカタ歯を鳴らしはじめ、悲鳴をあげながら酒場から出ていった。

やがて男は、不意に興味を失ったかのように、短刀を机にトン、と突き立てて、あとは知らん顔で水を飲みはじめた。

静かになった酒場に、しばらくのあいだ、屋根を激しく叩く雨音だけが響いていた。