潔癖症までに白い壁の病室。其処には二つのベッドがあり、複雑な機械がその二つのベッドの隅に自己主張しつつもひっそりと佇んで居る。そしてその機械から伸びた二本のケーブルは私達の頸随に繋がれて居る。

私はそのベッドの一つで目を覚ました。そして手慣れた様子でそのケーブルを外して何時もの習慣で彼、夫の顔を覗き込む。未だ赤ん坊の様にスヤスヤ眠っている彼の寝顔。何時もならば正確に9時半に彼は目覚めるのだが今朝はお寝坊さんだ。彼が目覚めるのを待つ。そして食事を与える。その時、彼に日常の些細な事を語りかける。生に飽きて現実世界から解脱したのか、これから現実世界を受け入れる為に赤ん坊の様に純粋無垢になったのか…。彼は以前マネキン人形の様に一切の反応もない。そんな生活を彼の起こした運転事故から2ヶ月以上もこの病室で繰り返される。娘と姑を亡くした私は孤独感に苛まれ、一時期、心が崩壊寸前まで壊れ錯乱した事さえあった。だが私と彼の共通の友人、精神科医であるポールに支えられ、忍耐と言うモノを学び、希望を持つ努力をポールから与えられた。

午前10時。この時間にポールは決まって私達の病室に訪れて私達の様態と機械の様子を伺う。

ポール「おはよう。」

ポールは私に先ず微笑みながら言葉を掛け、その後夫の顔を覗き込みながら声を掛ける。

ポール「元気そうだね?君の中の彼に気付いた事は何かあったかな?」

ベッドの隅に置かれた機械、それは私の思考の中にある彼の全てを読み取り、物語を創り出す。難しい事は良く分からないが、ポールの知人が発明し、ポールと共同開発して居ると言う。彼を仮想現実世界の中で蘇らせ現実世界でも蘇らせる実験。もしそれに成功したならば正しく新しい精神科医療の大きな飛躍に発展するに違いないとポールは自負している。彼、夫は私の思考の映像をケーブル伝いで感じている筈なのだが、未だにきっと映画でも見る様に他人事で感じていると今の私には感じられる。それ故に今の所、私にはその自負には半信半疑だ。ただ一つだけ私が作り出した仮想現実世界に居る彼から感じて気になる事があった。

私(ミヤコ)「ねぇ?どうして彼はお母さんに捨てられたなんて思って憎んで居るのかしら?この機械がそう分析して彼に伝えるなんて変よ!私はそんな事一度も感じた事ないわ。私はお母様から生前、随分親切に可愛がって頂いたものですもの…。これって誤作動じゃない?」

ポール「彼には現実を受け入れる準備がまだ出来て居ないんだよ、きっと…。だからこの機械は彼がお母さんを憎む事で悲しみを別な方向に向けさせて彼の痛みを緩和させて居るんだろう。」

私「良く分からないけど…そうなのね…。」

ポール「これはきっと彼が自己主張している証しかも知れない!回復の兆しかも知れない!」

私「それは私の中でぼんやりだけど感じられるわ!ねぇ?だけど彼が正気を取り戻した時、そんな憎しみから解放されるのかしら?」

ポール「もしその時が来たら…。」

私「来たら?」

ポール「間違いなく彼は現実世界でまた自立していけるさ。」

私「信じていい?」

ポール「ああ…。君が彼に事実を嘘で包み隠す必要なんてないだろう、きっと…。」

私「彼と早くライブステージで共演したいわ。」

ポール「出来るとも!だからもう少しの我慢だ。こんな生活を君達二人に強いるなんて僕だって苦痛に他ならないからね!退院の時は盛大にライブパーティーでもしょうよ!」

私「ええ…。」

私は久し振りに笑った感覚を感じる事が出来た。もしポールの回復の兆しと言う言葉を心底信じられたなら、私は現実世界の中で夫の目の前でそれを堪能する様に感じたい。