加瀬拓也が引き起こした誘拐事件の事情聴取が終わったのは夜も更けた時間帯だった。鏡美里と美鈴を乗せた赤いバイクは二人のアパートに向けてゆっくりと流している。
「お腹、空かない?」
 心地よい排気音の中、美里はタンデムシートの美鈴に言った。
 そういえば、まだ夕飯を食べていない。
 加瀬拓也に連れ去られていた時の緊張が解れ美鈴は「うん、空いた」と応えた。
 美里はハンドルを切ると黄色い看板を掲げたファミリーレストランにバイクを導いた。
 お定まりのレイアウトの店内に入ると二人は窓側の席に座った。程なく若いウェイトレスが来て、二人の前にメニューを置いていく。二人はそれを見て暫く考え込んだ後、パスタとサラダ、ドリンクバーを注文した。
 注文した料理は数分後に二人の前に並べられた。工場で大量生産され、最後の工程だけを店内で仕上げるこの料理は、同系列の何処の店でも同じ味で食べられる。
 それでも小さい頃からこの味に親しんできた美鈴には充分満足できる味だった。

 食事を終えて一段落つくと美鈴は母に問いかけた。
「教えて、あの時私に何が起こったの?」
 美鈴は黒い人物と接触した時のことを美里に聞いたのだ。あの時、美鈴は心の奥からの声を聞いた。そして意識が途絶え、気がついた時には病院のベッドの上にいた。
 その間、何があったのか、あの声は何だったのか、母ならばその答えを知っている気がしたのだ。 
 美鈴の言葉を聞いた美里は暫く考え込んだ後、美里は重い口を開き始めた。
「あなたの心の中には別の人格が生まれたのよ。あの悪夢を見た夜から…」
「別の人格?」
「そう、私達の一族はそれを『紅い菊』と呼んでいるの」
 と言って、美里は『紅い菊』について説明を始めた。
『紅い菊』は、一族の女に時々現れる特に強い力を持つ人格だった。それ自体の肉体は持たず、一族の女の心の奥に寄生し、普段は現れないが『もの』と直面した時や『もの』の気配を感じた時に現れ『もの』を屠って成長していく存在だった。『紅い菊』が現れた時、宿主の意識は失われるのだった。『紅い菊』は様々な使い魔を使い、碧眼の黒猫もその一つだった。
 あの時の声や記憶が失われたのは『紅い菊』が出現したから起きた現象だったことを美鈴は知った。