頼むのではない。

 取引ならどうだろう。

「ボス…義手を作る気…ありませんか? すごいやつ」

 天野の表情が、頭を掠める。

 空っぽの袖を、彼女はどんな気持ちで見たのか。

「ああ…なるほど…それもありか」

 ボスは、少し考え込む仕草を見せる。

 義手について、あっさり理解したということは、情報は入っていたのだろう。

 そして彼もまた、絹と同じ想像をしたはずだ。

「森村さんのこと…何か聞いてます?」

 義手について思いめぐらせているボスに、ふっと思ったことを聞いてみた。

 渡部は甥、森村は弟、という複雑な関係のボスは、腕の事をどう感じたのだろう。

「大丈夫だ…腹立たしい話だが、渡部の血はしぶとさが売りだ。嫌でも寿命まで生きてしまうらしい」

 結局、私も生きているだろう。

 三途の川を渡りかけた男が、微かに口元で笑った。

 ボスが、大丈夫というのなら──きっとそうなのだろう。

「さぁ、支度をしてきなさい」

 いろんな人間に、自分の髪を絡めたままの絹を、自由にするかのように声で押し出す。

「はい…」

 髪を、すべて振りほどくことは出来ないが、絹は居間を出た。

 一歩、居間を出たら。

 涙が出た。

 自分が、幸せになろうとしているのを感じる。

 行き先は、どこか分からないが、すくなくとも太陽は差している。

 こんなワケありな自分が、いびつな自分のまま、幸せの道を歩こうとしているのだ。

 哀しい涙でも、嬉しい涙でもない。

 ただの──涙。

 強いて言うなら。

 この世に生れる時の、涙。

 一度生まれ、権利という意味で一度死に。

 そしてまた──生まれ落ちた。

 これから、やっと彼女は生きるのだ。

 たくさんの人との、しがらみを絡めながら。

 それすら。

 いまの絹には、幸せという名を持っていた。


 ワケは、山ほどある。


 でも。


 抱えられないほどの愛も、そこにはあった。