「こちらで働かせてもらいたい理由は、大学から近くて便利がいいのと、この穏やかな環境がとても好きなんです。実は、前に一度だけ、お客として来たことがあります」
「えっ、そうだったんですか? ああ、全然覚えてないや……ごめんなさい」
「いえ、いいですよ」
 山城さんは笑って、当時のことを話してくれました。
 それは、去年の夏のこと。二学期末のテストを控えていた山城さんは、ここへやって来て勉強をしていらっしゃいました。前日に親と口喧嘩をして家に居辛かったらしく、大通りのファミレスよりも静かで、且つ知り合いがいなさそうな場所を選んだ結果だったそうです。席は、入り口から一番遠い、店の隅でした。空調の風も間接的に当たるそこで、彼はレモンティーを頼んで必死に勉強をしていました。しかしどうしても理解できないところにぶつかった時、
『当店サービスです』
と、私が彼のテーブルに苺のムースケーキを置いて行ったんだそうです。
 彼がそこまで話してくれて、私はようやく思い出しました。
「ああ、思い出しました、思い出しました!」
 夕方から長い間いらっしゃるのに、休憩になるような甘いものも何も頼まないのを、私は勝手に心配していました。勉強を頑張っているのだから余計なことはしない方がいいだろうか、と思って声を掛けなかったのですが、途端に難しい顔をしたものですから、レモンティー二杯分のお代を貰うことにして、そこにケーキを持って行ってあげました。
「そうです。あの後分からなかったところも、仕事中なのにも関わらず教えてもらってしまって……申し訳ないなって思っていたんですけど、凄く分かりやすくて、テストの度に通おうかと思ったくらいでした」
「あの時山城さんが勉強したところが、当時の私も躓いてしまって必死になって勉強したところだったので覚えていた、というだけに過ぎませんよ」
 元来勉強は苦手な人間なので、と言うと山城さんは笑いながらも首を横に振りました。
「でも、本当に分かりやすかったんです。お店の雰囲気もゆったりしていて気持ちよかったし、お客さんに接するマスターも楽しそうだったから、部活を引退したらここで働かせてもらえたらいいのに、って思いました」
 私は山城さんの履歴書を封筒の中に入れました。
「一か月は研修期間です。研修中は時給八百円で、そこで私が正式に採用するかを決定します。どうでしょう?」
 暫時呆然としていた山城さんの顔が、徐々に明るくなっていきました。十八歳の笑顔だと思えないほど幼く、ひたすらに真っ直ぐでした。
「はい! よろしくお願いします!」
「あ、履歴書預かってていいですか? こちらで少し写させてもらいたいので」
「はい、構いません!」