伊坂商事株式会社~社内恋愛録~

篠原班長の拳は、少しだけ、震えていた。



「強いですね。泣くのかと思いました」

「可愛げないでしょ、私」


自嘲気味に笑いながら、篠原班長は髪の毛を掻き上げる。

ほんとは傷ついてるくせに。



「私があともう5歳若かったら、今のでショック受けて二度と出社できないくらいになってたかもしれないけど。嫌よねぇ、30女って」

「あんたまだ29でしょうが」

「同じようなものよ。あの子たちから見れば、私なんて、婚期を逃したうざいおばさんっていう程度でしょ」

「あんたが『おばさん』なら、俺はどうなるの」

「男は30過ぎたら一人前って褒められるじゃない。女とは違うわ」


元来のコンプレックスの上に、さらに今のでダメージを食らった篠原班長は、それでも強がろうとする。



「沖野くんも、出世したいなら別の班に行っていいのよ。何なら、私から課長に言ってあげるし」

「別に出世とか興味ないですけど、班長がそうしたいと思うなら、それで」

「私が決めることじゃないでしょ」


じゃあ、俺に何を言わせたいんだ、この人は。



俺がいなくなっても別にいいと思ってんのか?

それとも、篠原班長がいいです、って言えば満足するのか?


ほんと、まるでわからない。



「ごめん。私やっぱりコンビニに行くわ。その後、資料室でちょっと調べ物するから」


ひとりで泣くつもりか?

だからって、俺はそれ以上、追いかけることもできないのだけれど。


きびすを返して歩いて行く篠原班長の背中を見る。


いつも髪をまとめてて、パンツスーツで、背伸びするかのように高いヒールを穿いて、背筋を正して歩く、後ろ姿。

今日ばかりは、何だかそれが、無性にやるせなく感じさせられた。