ここからはその作品をざあっと紹介しよう。

ある晴れた日のこと、私は父親と会話をしていた。なんといってもこの作品の中で紹介するまでもない他愛もない話だったのである。
「お父さん、公園に行きましょうよ。」
「あいにく、今日はみたいテレビがあるんだよ。」
「お父さん、しりとりしましょうよ。」
「あいにく、今日は仕事をしないといけないんだよ。」
「さっき、みたいテレビがあるって言ったでしょう?」
「はて、そんなこと言ったかな?」
父親は、面倒なことは聞き苦しい言い訳で誤魔化してくるのだ。ムカついても、しょうがない。父親はそういう性格なのだ、そう割り切っていつも話を切るのだが今日ばかりはそうはいかなかった。
毎日毎日断られ続け、ストレスが溜まっていたのだ。挙げ句の果てには、この人に子どもを思う気持ちはあるのか、果たしてこの人は本当に人間なのか、そこまで深く考えてしまっていた。
今日は父親に断られることを覚悟に、誘いを振り、言い返しの矛盾をつく(今までは矛盾に気づいていたが、あえて追求しなかったのだ)ことにした。
しかし、この人から返ってきたのはなんて理不尽なセリフ。イライラは大きくなってしまった。そして遂には花瓶を手に、父親をぶん殴ってしまった。
サスペンスなどではここは1番後に書く事なのだが、これはあくまで物語なので、先に書かせてもらった。
まぁ、実際のところ父親は死んでおらず、むしろ開き直って「ん?何かあったかな?」などと言い放ったときにはもうどうなっていたかは一つしかないであろう。
つまりは父親は花瓶如きに殺され、伸びかえっているのだ。
私はそこまでしようと思っていなかったので、挙動不審に陥り、周りのものが本当に日常に溢れているものなのが分からなくなり、何を見ても焦燥感で満ち、へんな小人が出てきていても、現実離れしたものだと意識する思考もなかったのである。
それどころか、私はその小人に頼み込んだ。
「あぁ、どうにかして、私の罪をなくしておくれ」
その小人は実際に存在していた確証はないし、私の想像上の産物だったのかもしれないが、そのとき小人は返事をした。
「そこに倒れている者を生き返らせればいいのかい?」
私はそこで先程までの焦燥感をスッキリふりきり、完全に冷静さを取り戻したのである。ソファは座る為のものだし、花瓶は花を生けるものだ、そこまで考えられる冷静さを取り戻した私にはその質問にしっかり考察をいれることができた。
しかし、今となっては小人の存在が不思議でしょうがない。私は小人に聞いてみた。
「その質問に答える前に、私の質問に答えてくれる?」