キリと悪魔の千年回廊

「恋人なんていないよー」

照れるでもなくキリはそう答えた。

「しかし、それにしては──……」

「なあに?」

「いや……」

こんな場所で女に面と向かってキスの仕方がどうこうと言うのはためらわれ、

何より、思い出したくもない毒のキスの話題を自ら口にするのはためらわれた。


ラグナードが口ごもったとき、


「ちょっと! なにするのよ!」

間近で悲鳴が上がって、ラグナードとキリはそちらを見た。

すぐそばのテーブルで
さきほどの宿屋の娘が、注文が遅いと文句をつけていた男たちに腕をつかまれ、むりやり男たちの間の席に座らされるところだった。

「あいつらとは仲良くお話してたじゃねえか」

「俺たちとも仲良くしようぜ」

男たちはあっけにとられているキリたちのほうを見やってそう言い、娘の肩に手を回した。

「いやよ! はなして!」

「お客様、どうかしやしたか?」

娘のさけび声を聞いてかけつけてきた店の主人に、「注文をとりに来るのが遅れたつぐないに、酌を頼んでるんだよ」と男たちの仲間が言う。

「いやあ、うちはそういう店じゃねえんで」

たちの悪い酔っぱらい客たちに、主人はひげ面ににがりきった表情をうかべた。

「女の酌つきで酒が飲みてえんなら、どこかよその店に行っちゃあどうです?」

「あんだァ? 俺たちに出ていけっつってんのか!?」

「こっちは客だぞ!」

男たちが声をあらげ、主人がますます困った顔になり、

「ホラ、酒をつげ」

肩に手を回した男が、嫌がる娘に酒のにおいがプンプンする顔を近づけてそう言って、



カン、という音が酒場の中に響いた。



続けて、娘にからんでいた男が額を手で押さえてうめいた。

「あー、わたしのお茶のカップぅー」

キリが悲しそうな声を出して、

「ほとんど飲みきってたんだからいいだろう」

自分の杯ではなく、キリのお茶のカップを男に投げつけて命中させたラグナードが、めんどうくさそうにそう返した。


「この野郎! なにしやがる」

金属製の食器を額にぶつけられた男が、どなりながら席を立った。