キリと悪魔の千年回廊

霧の悪魔との契約が禁忌とされた主な理由は結局のところ、信仰とも道徳観とも関係なく、ただリスクに見合う利益がもたらされないためであった。


いくらなりふり構わぬ心境になっていようと、
シムノンも、そんな不確実で危険な手段に賭けてみる気にはなれなかった。


過去の記録では、
霧の悪魔たちは大抵、契約の引き替えにその人間にとって最も大切なものを奪っている。

今のシムノンにとって、なにが一番大切なものか?

考えるまでもない。

永遠に生きる方法を尋ねた後で命を持って行かれたのでは、本末転倒もいいところである。



やはり、永遠など手が届かぬものなのか──

方法はなにもないのか──



途方に暮れたとき、

禁書が並ぶ書架の一番はしにある一冊の本が、シムノンの目にとまった。


背筋に、なにか奇妙な緊張が走るのがわかった。


金や銀の箔押しではなく空押しの装飾が施された、まっ黒な皮の装丁の背表紙。

ここに、こんな本があっただろうか──?


近づいて手にとってみると、どこか見覚えがあった。

皮の表紙にもやはり箔押しはなく空押しだけの黒一色で、さびたためかもともとそうだったのか、黒い金属の留め具がとりつけられている。


「この本は……」


シムノンは、声に出してつぶやいていた。


禁書ではない。

もう何十年前になるだろうか。

書庫の上の階層にある、解読書の書架に並んでいたのを覚えている。


数ある書物の中で特にこの本がシムノンの印象に残っていたのは、

この漆黒の装丁の本が、
中身のページもすべて黒一色に塗りつぶされていて、誰が何を書いた書物であるのかまったく不明なものであったからだった。

なにか魔法がかけられていることは確かだが、解読の方法が誰にも解明できず、

長年にわたって解読書の書架に置かれたままになっていた謎の本。


それがどうしてここにあるのか。

誰かが置いていったのだろうか。


いや、そんなはずはない──と、

背を虫がはいずり回っているような気がしながら、シムノンは確信する。



ついさっきまで、ここにこんな本はなかった──。



突然、書架に本が出現するなどということがあるのだろうか。

まるで、シムノンの手に渡るために現れたかのように。



金具をはずし、
本を開いてページをのぞきこみ、


あっと、シムノンは声を上げた。



以前にこの本を開いたときには、ただまっ黒いばかりだったページに、びっしりと文字が並んでいた。

普通の本とはあべこべに、黒いページに白抜きの文字が書かれている。


急いで、シムノンは黒い羊皮紙をめくって最初のページを開いた。


そこに白抜きの賢人言語リンガー・マギで書かれた、この黒い本の著者の名は、いまやはっきりと読むことができた。