それは確かまだ私が小さな頃。
 誰が言っていたのかも覚えてはいないが、強く記憶に残っている言葉がある。
 その言葉というのが木蓮の花に関する事。
 確かに、その人が木蓮の木を見上げながら話をしている記憶はある。それなのに今、その言葉だけが記憶から抜け落ち、大切な言葉だけが思い出せない。
 『木蓮の花が枯れる時は、まるで――――』

 これは私が好きだった作家の話。作家と言ってもアマチュアでネット小説で読んだ話。
 その作家は木蓮の花を電球の様だと例えていた。物語の中で木蓮の花は主人公達を明るく照らし、擬人化された姿は白く美しい女性。
 私は少しそのキャラクターに心を惹かれていた。
 それと同じ頃に、私には娘が産まれた。とても肌の白い可愛らしい娘。
 妻と相談した私は娘の名前を“木蓮”と書いて“きれん”と名付けた。日を重ねる毎に自我に目覚めていく木蓮はとても明るく、私達を毎日笑顔にしてくれる。
 とても幸せな毎日。
 娘が3歳になる頃、好きだったあのネット小説が文庫本になる事になり、娘の世話に追われて読めなかった私は書店でその本を購入した。
 書いてあったHPアドレスにアクセスした私は作者に、出版祝いの言葉と、娘の話を書いて、作者に感謝を込めてメッセージを送る。
 小説は当時と変わらず面白い。もちろん木蓮の花のエピソードも入っていた。

 それから、数日後の事。
 本を読みながら帰っていた私には到底予想できない事態が起きていた。
 自宅のあるマンションが火事になっていたのだ。
 集まる野次馬の中で私は必死に妻と娘を探す。
 丁度、木蓮の花が満開の季節。火事の炎に赤く染められた白い花を見て私の不安は頂点になる。
 何度も、何度も妻と娘の名前を叫ぶ。
 それでも、声が枯れても、妻の返事が聞こえる事も、娘の姿を見つける事も出来なかった。

 全ての火が消えたのち、住んでいた家も、自分も木蓮の花も灰色に薄汚れて、醜い姿だ。
 警察によって自分の家に近付く事も出来ない私はわずかな希望を込めながら、木蓮の木の下に座り込む。
 鞄の中にしまっていた本を取り出し、溜息を吐く。きっと、木蓮なら大丈夫だ。白い肌を煤だらけにしても、明るく笑ってまた「パパ」と笑いかけてくれるに違いない。
 暗示をかける様に本を握りしめる。
 不意に顔を上げると、消防士や警官達が不可解な顔をして、何かを話し合っていた。