「どうも、お先にすみませんね。でもいいお部屋ですよ」
 オッサンを目で追っていくと、小柄な女性と目が合った。彼女は愛想の良い笑顔で対応してくれる。美人ではないが、可愛らしい女性だ。
「ああ、ええと……タケカワさん、ですよね」
「あ、はい。タケカワあいりです。藍色の“あい”に瑠璃色の“り”」
 藍璃か。字面といい、画数といい、随分固い印象だ。タケカワさんはごく普通の、まあどちらかというと真面目そうなというくらいの人だっただけに、少し意外な気もした。
「間中です。間中ひろと。ええと……大きいと書いて“ひろ”、“と”は飛翔の翔です」
「ああ、分かります。甥っ子がまったく同じ漢字の名前だ」
「え、そうなんですか。若い名前なんだな、これ」
「ホントですよ。うちのヒロトはまだ2歳ですから」
 大きな口を開けて、タケカワさんは笑った。また意外だ。どちらかというと真面目という印象だったから、こんな風に大胆に笑うとは思っていなかった。
「間中さん、お部屋の方はいかがです?」
 トーヤマのオッサンが絶妙なタイミングで話しかけてくる。ホントに空気読めないのか、それとも嫌がらせか。
「ええ、いいお部屋ですね。もう少しお安ければ即決してました」
「いやあ、これ以上はどうにもならんのですよ、申し訳ないですが」
 別に値切り交渉をしようとは思っていない。というか、そもそもこのオッサンにそんな権限はないってことくらい、俺にでも分かる。
「私もですよ。さすがに月10万は躊躇しちゃいますね〜」
「ですよね。半額とかだったらマジで即決しますけど」
「あ、私も。半額ならこの場で契約します」
 何となく出した半額という提示だったが、よくよく考えてみればこの部屋は2DKで、つまりダイニングキッチンの他に個室が二部屋あるということだから。
「ああ、ルームシェアされているお客様も結構いらっしゃいますよ。もし、もう一方決まればシェアされてもいいんじゃないですか?」
 なるほど、シェアという手があったか。多少窮屈な面もあるが、家賃が半額になるというのは美味しい。ナカハラの提案はなかなか悪くないものだった。確か、誰か引っ越したいとか言ってなかったか。脳内の検索エンジンが作業を始めようとしていた。