底が抜けていないか確認して、俺はからの水筒を数本抱えた。とりあえず、二番地の者たちが一日過ごせれば文句はない。次の日のことは誰にもわからないのだ。その日を生き延びられたら、それで満足。欲を出してたくさん水を持っていたところで、突然の事故などで命を失くしてしまえば、水なんてなんの役にも立たなくなるのだから。それならば、たとえ素行が悪いといえども、三番地だろうが、はたまた違う番地の人間だろうと、生きている者の役に立てるのが一番なのだから。
災厄が起こって以来、いつの頃からか、生きていくために努力をしている裏で、気持ちはいつ死んでも構わないと思っている。自ら命を絶たないのは、苦しんだり、痛みを伴う死に方しか思いつかないから。このことをガイに打ち明けたら、痛みなんて一瞬じゃないかと笑った。だが、一瞬だとしても想像するも難い苦痛を味わうのは御免だ。そう思う俺は、「本気」で死にたいとは思っていないのかもしれない。ただ現実から逃げたいという思いが働いているだけなのだろう。
けど、今の状況がよくなることを想像すらできなければ、生き続けていきたいと思えるほうが不思議だ。親や家族も、生きているか確認することさえもできない。どこかで生きていればいいと思う反面、何度吐いたかわからないため息と一緒に、夢も希望も吐き捨ててしまったかのようだった。



