神代の屋敷に戻った拙者は、寝静まった廊下を歩く。
夏の夜は昼間に比べ少し涼しい。


「…今夜は満月か…」


夜空を見上げると、丸く明るい月が昇っていた。


「だ…誰…?」
「…!!」


月に見とれていると、突然声を掛けられた。

聞き慣れた声に慌てて振り返ると、案の定…怯えた様子の幸姫がいた。
障子から顔を覗かせ、拙者を見つめている。

ここで己の正体を明かしてはならなぬ。
伝説の忍三兄弟の、掟…。


「な、何なの…あなた」
「…せっ……お、俺は…狐太刀(こたち)…という」
「狐太刀…?」


何でござるか、狐太刀って。
自分で名乗っておいて、何でござるか。

咄嗟に出た名前であっても、もっとマシな名もあったろうに。


「何か用?どうしてここにいるの?」
「…俺は、友の霧助に用があって…」
「霧助…?今は、いないよ。どっか行っちゃってるもん」
「そ、そうか…」


少し寂しげに俯く幸姫。
拙者は、そのままどこかに行って面を外して参れば良いものを、黙って幸姫に歩み寄ってしまった。

それに気付いた幸姫は、体を強張らせ拙者を見つめる。


「安心しろ、何もしない」
「…本当に?」
「誓おう」


慣れない言葉遣いがバレないように、拙者は幸姫に申した。


「御前の名は、何と言う」
「私の名前?…幸、だよ」
「幸…良い名だ」


ああああ…むず痒い、初めて幸姫を呼び捨てにしてしまった!

バレたら最悪でござるよ!