「よ、杏奈」
車の窓を開けて私を呼んだのはユズだった。私は驚いて目を見張った。
「何やってるんですか、こんなところで?」
「杏奈のこと待ってた」
ユズの言葉に唖然とする。
「……仕事場では、杏奈って呼ばない約束です」
「仕事終わったじゃないか」
確かに仕事は終わったけど、ここは事務所の正面だ。
「言わなきゃわからないですか? あまり、同僚に見られたくないんです」
「俺と一緒にいるところ見られたくなかったら、さっさと車に乗れ」
この男……。
私は呆れて、歩き出した。もちろん、ユズを無視して。
しかし、ユズはあろうことか超低速で私の後をついてきた。
「ついてこないでください。迷惑ですよ」
「車通らないから良いんだよ」
「送ってもらうのは、結構ですから」
「車乗れって。ストーカーするって言ったろ?」
私はほとほと困って足を止めた。ユズはにやりと笑っている。
私は顔をしかめた。
「なんで、ついてくるんですか?」
「ん、久しぶりに杏奈と話したかったから」
私は頑固だし、負けず嫌いだし、我が強いのはわかってる。
だから、今まで「押しに負ける」なんてことはなかったのに……。
「乗らないと、マンションまでこのままだからな」
「……わかりました。乗りますから……」
結局、ユズには敵わなかった。
私はしぶしぶ助手席に乗り込む。
「……噂にでもなったら、どうしてくれるんですか」
「俺は別に杏奈となら、噂になっても良いけど?」
そんなことをさらりと言われて、不覚にもどきりとしてしまう。
この人は弁護士だから、どんな言葉にも信憑性を持たせることができる。それくらいの技量がなくては、弁護士なんて勤まらないと思う。
だからこれは冗談なのだから、本気に受け取ったらいけない。


