ただ中国でも日本と同様、かたぎとは言い難い生業の人たちが自己の勇敢さを他人に誇示するために刺青を入れる事が多かったらしい。
 たとえば水滸伝では、梁山泊の108人の頭領の中にも背中一面に「彫り物」としての刺青を入れていた人物が多数いた。

 梁山泊の頭領の中で唯一女性である「一丈青扈三娘(いちじょうせい・こさんじょう)」は男顔負けの武術の達人でありながら、外見は良家の令嬢のごとき美女だったとされている。
 だが、一丈青の「青」は刺青の事ではないかという説もある。

 水滸伝は中国の明代に書かれたフィクションだが、彫り物をした女性ですら完全に否定的な目では見られていなかった証左だとも解釈できる。
 ただ中国で刺青をしていたとされている人物に共通しているのは、武勇を誇る人物であり、しかし皇帝直属の役職にはつけない身分であるという点だ。

 刺青はなかったようだが、梁山泊の頭領の筆頭である宋江という人物は諸国を流浪していたとされているが、実は塩の密売人ではなかったか、という説もある。
 王朝時代の中国では生活必需品である塩の売買は国家が管理する専売制度であった。
 当然国家財政が苦しくなると塩の税金を上げててっとり早く税収を上げようとする。

 さらに徴税は各地の地方官吏に一任されていたから、皇帝府から命じられた以上の税金を吹っかけて私腹を肥やす役人も多かったはず。
 その重税がかかった塩を買えない庶民に、こっそり税抜の価格で塩を売って回る密売人が各地にいたそうで、水滸伝の宋江も若い頃はそれで生活していたという説である。