寅さんも自分の仕事を「ヤクザな稼業」と言っているが、あくまで「ヤクザな」であってヤクザそのものではない。
 むしろテキヤは「カタギではないが、ヤクザにまで落ちぶれちゃいねえ」という矜持を持っていた集団であった。

 またヤクザの一家と似たような組織構造を持ち、万一の時は力ずくでの抗争も辞さないため、昔はむしろ祭りや縁日にヤクザが介入してくるのを防ぐ役割も持っていた。

 テキヤには基本的には2種類ある。
 一つは人口密集地を縄張りとし、比較的狭い範囲の神社仏閣の縁日や祭りに出店するタイプ。
 東京の下町だと年中どこかで屋台の出店を必要とする催しがあるので、特定の地域に根を下ろして一家を構え、かつ収入も充分になる。

 もう一つは広域巡回型。
 本拠地はあるのだが、たとえば関東一円というような広い範囲で、縁日や大きなイベントの開かれる場所を次々に移動して商売をして行くタイプ。
 このタイプのテキヤ集団は一カ所で二つ以上の団体が同時に出店する場合が多いため、いい場所の取り合いなどで争い事が起きやすい。
 そういう時に地元の定着型テキヤ一家が場所割を決めるなどの調整役を果たしていた。

 フーテンの寅さんはどちらでもない一匹狼のテキヤだが、現実にはそんなテキヤは滅多にいなかったそうである。
 若い時に数年ならともかく、流れのテキヤがそれだけで生活していくのは戦後では不可能だったそうだ。