「別に、悪いことは、していないわ」

海婆は、もう一度おおきな泡を吐くと、手を振った。

「もう、いい。行きなさい」

それで、ニーは海婆の穴から出る事にした。
岩づたいに泳ぎ昇って、穴の出口の所で、海婆の方を振り向くと

「ありがとう」

と、手を振って出ていってしまった。その姿を見送りながら、海婆は独りで呟いている。

「やはり、本来の生活の場の方が良いのか。あのこは、まだ目も開かない赤子の時に、海で引き取ったのに、それでも記憶が残るのか」


ニーはまだ赤子の時に、海で引き取られていた。
波が、彼女の泣き声と匂いを、海で暮らす人魚たちの元に届けた。

海婆は、赤子に水の中でも生きれる呼吸の魔法を授け、名前を授けた。
『すべて』をあらわす『ニー』と言う名前を。

ニーは人間の子どもだった。それを人魚として、海で引き取ったのだった。


海辺で風が舞っている。ドーターは小屋で眠っている。


―出逢ってしまった―

波がそれに応えるように、浜辺にうち返す。

―出逢ってしまった―

風と波はしばらく、その言葉だけを繰り返していたが、やがて何か答えを見つけたかのように、同時に声を発した。

―なるようにしか、ならない―

と。