父の記憶は曖昧だった。
 長い時間をともに過ごしたこともなく、言葉を交わしたことさえ滅多になかった。
 母親をとても寵愛していたために、自分を見るのが辛いのであろうと側仕えの者が噂しているのを聞いたことがあった。
 母が死んでから離れに訪れることもなかった。
 すでに母親の面影さえおぼろで、自分が父に似ていたのか母に似ていたかさえ定かではないが、異母弟妹達とは似ていなかったことだけは確かだ。
 絵姿を頑なに残そうとしなかったため、覚えているのは皇帝の衣服と、なぜか伸ばされた手だけだった。
 エギルディウスが何かと世話を焼いてはくれたが、剣術や護身術以外に興味を持てず、後ろ盾もないため帝王学や他の学問も嗜み程度にしか教わらなかった。
 母親の死から、食事にだけは厳しい監視と毒味が加えられたため、冷めた食事しか知らなかった。
 それが、皇子として生まれた自分の全てだった。
「ファンナ、そなたは父をどのくらい知っている?」
「陛下はご立派な方でした。聡明で、私どものような下々の者にさえわけ隔てなく話しかけてくださるような、お優しい方でした」
 夢見るように語るウルファンナの皇帝と、自分が知る父の姿は決して重ならなかった。
 彼女は皇帝を敬愛している。
 国を滅ぼしたのに。
 たくさんの人々を、死に追いやったのに。
「では、なぜこんなことになったのだ?」
 宰相の侍従にさえ慕われながら、寵愛した側室の息子には言葉さえかけなかった。
 皇太子時代のあらゆる偉業から歴代のどの聖皇帝より聡明と謳われながら、その血統と国をついには滅ぼした。
「お前のいうような賢い皇帝が、なぜ国が滅びるまで何もしなかったのだ?」
 先ほどまでとはうって変わって、ウルファンナの表情は、硬く、そして、悲しげだった。
「――陛下は、お変わりになられてしまったのです」
 何故に、と問うことはできなかった。
 余りにも悲しげに、ウルファンナは視線を逸らした。
「エギルディウス様なら全てをご存知です。後ほどお聞きになるとよいかと」