夢か、幻か。
「ねぇお兄さん、ちょっと暇?」
ただひたすらに、甘い。否、甘ったるい声。耳について嫌になる。
通りに並ぶ看板を見れば声を掛けた女が何を求めているか直ぐに知れた。店に来いという意味だろうが、もう大分飲んでいる。これ以上は無理だ、瞼が重い。
腕にまとわり付く着飾った女を適当にかわして、帰路を辿る。
「ねぇねぇお兄さん」
またかと嘆息して、歩調を早めた。一々相手をするのも面倒だ。
大体四十過ぎた男をお兄さんと呼ぶ時点で、下心が透けて見えるような…
「無視しないでよー…しょうがないなぁ。うっ、うわあぁぁん!待ってよ、お父さぁぁん」
突然の大声にぎょっとして振り返る。二回りも離れていそうな少女が、勢い良く抱き付いてきた。声の主が彼女だったと気付くより早く、少女は言葉を続けた。
「私が悪かったからっ…こんなとこに、置いていかないでお父さん!」
お父さん?
何を言ってるんだと口を開く前に少女は矢継ぎ早に謝罪の言葉と、嗚咽を漏らす。
視線が、周りからの視線がとてつもなく痛い。
少女を横に抱えて、俺は逃げるようにその場から走り去った。