その日は、熊野教授が俺を覚えていてくれた喜びと、

なんだかモヤモヤとしてたものが自分の中に混在していた。



『優くんが聾学校を選ぶ時にもお母さんに……』




熊野教授が言った通り、俺は今日と同じ事を言った。

でも、言った相手は母さんじゃない。

優に言ったんだ。



『優が中学から聾学校に行きたいと言っている』と母さんからメールがきたのは、大学4年の時だった。


大学が休みの日に、久しぶりに家に帰ると、

優は泣いてふて腐れていた。


東京に出てきたのが優が小学校3年の時。


東京から帰るたびに、少しずつ優は、

笑顔がなくなり、ふさぎ込みがちになっていった。


どうやら、学校がうまくいっていないようだった。

勉強はできるけど、

友達ができなかった。





「なんで聾学校に行きたいの?」と母さんが聞いたら、


「疲れた」とか「馬鹿にされているから」とか

「もう、何もかもが嫌になった」


と…優はネガティブな言葉しか言わなかった。

「聾学校に行けばそれは解決されるの?」


と母さんが聞くと、

優は深く頷いた。


俺はその時、今日診察にきた風也くんのお母さんと同じ言葉を優に言ってしまったんだ。


「優、それは【逃げ】だ。

聾学校はそういう気持ちで行く所じゃない。

普通学級で疲れた奴が行く学校じゃない。

行きたくて行く学校だ。

聾学校はひとつの選択肢と考えろ」


そういった俺に、

優は泣きながら叫んだんだ。




「優等生のお兄ちゃんに何がわかるんだ!!

僕は…仲間がほしいんだよ!!

耳が聞こえる人間に
僕の気持ちなんか、わかるわけないんだ!!


なにが…なにが『難聴の人に役に立つ耳鼻科医になる』だよ……


お兄ちゃんはいつも正論ばっかりぶつけて、

ただの偽善者じゃないか!!!

僕には、ただかっこつけてヒ−ロ−ぶっている奴にしか見えないんだよ!!」