乙矢の心が揺れた瞬間。


――敵を斬れ。そうすれば、望むものが手に入る。


その可憐な顔は、血と泥に汚れていた。頬には涙の伝った跡もある。彼女が欲しい。愛しい、と思った直後、心の臓が大きく脈打った。

わずかな隙間を拭って、鬼が入り込み、心が持って行かれそうになる。


「ゆづき……どの、俺は……」


己の中の己を見失わぬように……弓月の声を、顔を、必死で胸の中に映し出す。

その時、乙矢の視界に、白刃が飛び込んだ。


手にした『青龍二の剣』から溢れ出る波動に、乙矢は問答無用で体が動いていた。まるで、吸い寄せられるように敵の体を斬り裂く。


「殺し、たく……ない……」


そんな思いを体が裏切る。

あっという間に数人を斬り伏せた。まだ、敵がいる。神剣は、更なる血を求めていた。内と外の敵に挟まれ、乙矢の心はふたつに裂けそうだ。

不意に地面が揺れ……足元がぐらつく。

直後、乙矢の視界を漆黒の闇が襲う。そのまま地が割れ、吸い込まれるような錯覚に囚われた。


「乙矢殿っ!」


最後に覚えているのは、泣き叫ぶ弓月の悲鳴と、いつぞや看病してくれた時と同じ、優しい手の感触であった。