人間は


無償の愛を


宗教なしには人に与えられないのだという




縋るものがなければ


自分さえも立たせていられない


利己主義的な


可哀想なものたち




キリスト教の無い前には


無償の愛は無かったのだという考えは


クリスチャンのエゴイズム


なのではないかと思う
でもそう言われたら



でもそうなのかも


思うこともあるのだ




ひとは昔


自分がいきることに精一杯で


愛したものを


守るのに精一杯で


仲間と思われるものの中で


身を寄せて


生きていたのだから




それでも


愛はあったんじゃないかな


少なくとも私は



そう信じてる