「泥棒! だれか!!」

 女性の声に反応して、ぱっと後ろを振り替えると帽子を目深に被った男が猛ダッシュでこちらに走ってくるのが見えた。
 脇に女性ものと思われる小さな財布。そして、片手に小型の刃物を持っているらしく、太陽の光をギラリと反射させている。そのせいもあり、他の人々は男に近づくことすらできず、波のように避けていく。しかし、李黄だけは道の真ん中に立って動こうとしなかった。

「邪魔だ! 刺されてえのか!」

 男は無茶苦茶に怒鳴りながら、手に持った小型ナイフをめちゃくちゃに振り回す。
 周囲の人間は、これから起こるであろうことを予期して視界を遮るもの、金切り声をあげる者、逃げろと声を上げる者と様々な反応を見せる。


「そうそう、周りの皆様も恐がっていることだし、そんなもの振り回しちゃ危ないよね。と、いうわけだから、良い子も悪い子も真似しちゃダメだよ!」

 李黄はどこに向かってか、誰ともなしに小さく呟くと、男をギリギリ自分の近くに来るまで待つ。
 男は訝しく思いながらも、他に選択肢もないため、そのまま李黄に向かって走って行った。だが、彼がその判断が間違っていたと気付くには遅すぎた。射程距離まで男が近づいたと判断した李黄は、一瞬口角を上げる。

 次の瞬間、急にしゃがみこむように手を地面に付いて身を屈めた李黄に、男は驚いて動きを止めた。その隙をついて李黄は、男の手を蹴りあげる。手の甲に勢いのある蹴りがクリーンヒットし、その痛みに思わず男はナイフから手を離してしまった。

 慌ててナイフを掴もうと体勢を崩す男に李黄は容赦しなかった。そのまま彼に足払いをかけたのだ。すると、男は面白いくらいの勢いで二回転し地面に大の字になって倒れこんでしまった。
 男の無様な姿がよほどツボにはまったのか、李黄は指差して大きな声を上げ大笑いし始める。
 笑いに一段落つくと、涙を拭いながら男の手を引いて立ち上がらせた。

「はい。じゃあ、現行犯逮捕っと。キミ、一緒に行こうか!」

 李黄の(意外に力のある)手に引かれ、男は諦めたように立ち上がる。と、見せかけ、足を滑らせてしまった。しかし、李黄はそれに動じることなく男の腕を掴んだまま、彼をずるずると引っ張って行く。
 引ったくられた財布を女性に返し、来た道を戻っていく李黄と引きずられていく男の珍妙な光景はその場の人々の目に嫌というほど焼きつけられることとなった。


「おい、ちょ、ま! は、離せ! とりあえず自分の足で歩かせろー!」

 という男の哀れ極まりない叫び声聞こえたとかが聞こえなかったとか。