後輩男子に惚れちゃいました。


「琉依ー」

スタスタと歩く彼女の背中に声を掛けると、琉依はピタリと止まって振り返った。

「上行ってもいい?」

「あ、実はわたしもそうしたいと思ってた」

そう言うと琉依は、さっき小林くんがいたギャラリーの後ろ側の通路へと上がった。

この体育館の西側には、上と下の通路がある。

下は、ギャラリーの手前側の通路と繋がっていて、フロアに近い場所で観戦出来る。

上は、ギャラリーの後ろ側の通路からしか通れず、場所が高いのでフロアからは遠くなってしまう。ただ、その分、人が少ないため、わたしはこの場所が好きだった。


ベンチに立つ大島君を、見つめた。

荷物を置いて、軽くストレッチをしていた。

その目は真っ直ぐにコートを見据えているのが、上からでも分かった。


「格好いいなぁ……」

思わずそう呟くと、琉依は笑った。

「赤堀くん聞いたら怒りそう。あ、怒るじゃなくて、焦る、かな。

まぁ、だけど、分かるな。格好いい」


顔とかじゃない。見た目とかじゃない。

いや、大島君は確かにルックスも格好いいけど、そうじゃなくて。


空気が。彼が纏う卓球選手としての空気が。エースとしての立ち姿が。


とても、とても、格好よく見えた。





大島君が、突然、ギャラリーを仰いだ。
ゆっくりと高原の皆の顔を見回す。

いや、違う。見てるんじゃない。

探してる?……誰を?


その時だった。

「良かった、間に合った……」

とわたしの右隣に、鞄を降ろした人が。灯先輩が、来たのは。


「あ、灯先輩!?」

「卯月ちゃんおはよー」

「お、おはようございます。っていやそうじゃなくて!」

「あ、もう9時だから、こんにちは、かな」

「いや、そういうことじゃないです天然発揮しないでください」

「あはは、冗談だよー」

と気の抜けるようなほのぼのとした声で、灯先輩は返した。

「え、先輩、どうして今週末大会だって知ってるんですか?」

「んー、聞いたから」

「赤堀に、ですか?」

「ううん、大島君」


灯先輩のその言葉を聞いた時、さっきの大島君の行動と繋がった気がした。


あ、そうか。もしかして、大島君が探してた人って―――。

わたしは、そっと一歩後ろに、下がった。
これからやることが、灯先輩にバレないように。

前で琉依と灯先輩が

「じゃあ琉依ちゃんって呼ぶねー」
「はい、灯先輩!」

と他愛もない会話をしているのを横目に、わたしは2人の後ろから、大島君に手を振った。

そう、多分ね、わたし達がいるこの上の通路は、フロアからだと少し見にくいだろうから。
きっと、大島君が探している灯先輩を見つけるのも、簡単ではないと思うから。


大島君は、こちらに気付いたようで、わたしの方を見た。
灯先輩を小さく指差すと、彼はやっと、そこに探している人がいると分かったようだった。


大島君は、照れたような、それでいて困ったような、歳相応の表情を浮かべていた。


そんな柔らかい空気を、体育館のスピーカーから流れる声が消し去った。

『只今から、男子シングルス1回戦を始めます』

大島君の表情が、纏う空気が、一瞬で、エースのものに変化した。

試合前の乱打が始まる。

その間に、わたしは灯先輩と琉依の隣に戻り、灯先輩に声を掛けた。

「ところで灯先輩、受験勉強は……」

「一日くらい休ませてー」

「もしこれで、灯先輩が第一志望に受からなかったら大島君めちゃくちゃ責任感じると思うので、絶対受かってくださいね」

「あはは、責任重大ー」

そうやって笑いながらも、灯先輩は真っ直ぐに大島君を見つめていた。


「前に好きだった人を忘れるのって、どのくらいかかるのかな」

灯先輩は、視線を動かさないまま、突然そんな言葉を落とした。

「……成くんのこと、ちゃんと、好きだったはずなのにな……っ」

「っ」

灯先輩の声は、小さく、でも確かに、震えていた。

あぁ、どうしよう。わたしは、また、何も、言えない。何て言ってあげればいいのか、分からない。

まるで、昨日の琉依との朝練習みたいだ。そう、思った。


「前に好きだった人を忘れる早さに、その人をどれだけ好きだったかは関係ないと思います」


琉依は、大島君を見つめたままそう言った。

灯先輩はバッと琉依のほうを見た。


「前の人を忘れるまでの期間の長さを決めるのは、その人をどれだけ好きだったかじゃなくて……その人を忘れさせるくらい素敵な人に出会うまで、どれだけかかったか。

それだけじゃないですか?」

灯先輩は、大きな目をさらに大きく見開いていた。

「だから、ほら、先輩。

ちゃんと、見ててあげないと」

『誰を』。
わざと省略されたその言葉は言わなくたって伝わった。

「うん。……ありがとう、琉依ちゃん」

灯先輩はそう言うと、またコートに向き直った。


琉依が言ったことは、わたしが思っていることと殆ど一致していた。

同じことを、わたしも、思っていた。


だけどね、わたしは、その言葉を言ってあげることが出来なかったんだ。


だって、そうでしょう?

赤堀が、わたしを忘れるのに、時間は関係ないんだって。

それは、麻田さんの魅力にかかっているんだって。


―――そういう、ことでしょう?