「そう」
「よく、ありそうな話でしょ?」
 浅井は何も言わずに前を向いて運転をしている。額の汗を腕で拭き取ってからボソリと言った。

「それで、もう、諦めたの?」
「え?」
「獣医になりたかったんだろ?」
「ええ。でも、私の頭では大学に受かりそうにないし」
「それでいいの?」
「え?」
「今からでも頑張れば?」
「でも、今からは・・・」
「君なら、いい獣医さんになれると思うけど」
「・・・」

 一軒目の酪農家に着くと浅井はいつものように聴診器を牛にあてて診察を始めた。この牛は2日前にお産してから食欲がないらしい。
「体温、測ってくれる?」と浅井が言った。
 結子も最近は牛舎の中へ入って浅井の助手のようなことをするようになっていた。
 体温計を牛の肛門に入れようとした時だった。
 牛の後ろ足が結子の胸を直撃した。
 肛門に異物を入れられた牛がビックリして後ろにいた結子を蹴り上げた。
 結子は1mほど飛ばされて通路に仰向けになって倒れた。蹴られた胸と倒れたときに打った頭の痛みの中で周りの景色が見えなくなっていく。
 遠のく意識の中で自分を抱える浅井の「大丈夫か!」と叫ぶ声が聞こえていた。