浅井は口から指を抜くと棚にあったイソジンを脱脂綿に垂らして傷口をポンポンと叩いた。指は茶色に染まりチクチクと痛みが走った。

「よし、これで大丈夫」
 自分の血液が彼の胃の中に入り、消化されて吸収されていく。そして、彼の体の一部に再合成されていくのかもしれない。
 浅井が傷口を絆創膏で巻いていく動作を見ながらそんなことを考えていた。
 
 その日は予防注射が5件と診療が3件ほど入っていて、結子も一緒に行くことにしていた。
 真夏の青い空に白い入道雲が浮かんでいた。車には容赦なく、日射しが照りつけていて天井から熱気が伝わってくる。エアコンの効きが悪いので汗が噴き出してくる。 真っ直ぐに前を見つめながら運転している浅井を見ると額から頬に汗が流れていた。

「暑いですね」
「ああ。こう、暑いと熱射病が出そうだなあ」
「外で仕事している人は大変ですよね」
 浅井は結子の顔をチラッと見てからボソリと言った。
「牛のことだよ」
「え?」
 牛にも熱射病があるなんて知らなかったけど、この車の中にいると自分が熱射病になりそうな気がした。

「君はなんで獣医を目指してたの?」
「え?」
「いや、前に、獣医になりたかったって言ってたから」
「小さいときからの憧れです」
「憧れ?」
「子供の時に犬を飼ってたんですけど、交通事故に遭っちゃって。もう、死んじゃうって思って。それで、両親が動物病院に連れて行ってくれて一命を取り留めたんです」
「そう」
「その時、手術をしてくれた白衣の獣医さんを見て、自分は将来、獣医さんになるんだ!って」