「これ、・・・。忘れ、物です」と息を切らしながら手に持っていたタバコとライターを見せた。 
「あっ。すみません」
 男は頭を下げると忘れ物を受け取った。
「お急ぎ、なんですね」
「ええ。牛のお産が近くて」
「牛?」
「はい」
「もしかして、獣医さんですか?」
「ええ」
(もっと話したいけど急いでいるようだし)

束の間の沈黙を破ったのは男だった。
「あのう」
「はい」
「よくこの店に来られてますよね?」
 全く予期せぬ言葉だった。自分の存在に気づいていてくれたとは夢にも思わなかった。
「よかったら、今日のお礼に、今度おごらせて下さい」
「そんな、お礼なんて・・・」と結子は手を振った。
「じゃあ、また」と言うと男は車に乗り込んだ。
 遠くに離れていく車体を見つめながらその存在が自分に近くなったような気がした。

 店に戻ると真衣がニヤニヤしている。
「大成功っていう顔してる」
「真衣には感謝するわ」
「まかしといてって、言ったでしょ」
「こうなること、予想してたの?」
「全然。もっと違うこと計画してた」
「何?」
「結果オーライよ。気にしないの」
「まあいいけど。でも、ありがとう」
「神様も味方してくれたけど、この貸しは大きいわよ」 真衣は悪戯っぽく言った。