目の前で泣いている彼女に、僕は何一つしてあげられることがなかった。

 その事実は僕にとって少しばかりショッキングなノンフィクションで、ドラマの主人公が言うような格好が良くて気の利いた台詞はやっぱりフィクションだったのだと、そう思うことでしか自分を支えられなかった。
 
 ことさら自慢するつもりはないが、僕と彼女はきっと周りから見ても仲の良い二人だったと思う。
 一緒にぶらぶらと散歩をして迷子になったり、一緒にゲームをして現実での妨害合戦に発展したり、一緒にくだらない冗談を言って突っ込みあったり、一緒にホラー映画を鑑賞し怯えて抱き合ったり、そのまま一緒に抱き合って寝た夜だってあった。
 散らかった彼女の部屋が僕は大好きだったのだ。
 
 二人の周りにはいつも笑顔がそこらじゅうに転がっていた。
 僕はその散らかりが大好きで、その幸福を忘れない自分を誇ってすらいた。

 いつも、一緒。

 ――だけど。

 今はあんなに散らかっていた幸せな部屋が、ぽっかりとキレイに片付いてしまっていて、そのキレイが僕をスパスパと容易く切り裂いていく。
 その時、初めて気付いた。

 ああ――いつも一緒なんかじゃなかったのだ、と。

 僕と彼女はそれなりにたくさんの時間を共に過ごし、そしてそれ以上の数え切れない夜を僕と彼女はたった一人で過ごしていたのだ。

 二人の笑顔は不偏で不変で普遍なのだと根拠のない確信に酔って、表も裏も疑うことなく「これが二人の普通なのだ。二人の笑顔は絶対なのだ」と意気揚々と僕が呼吸をする間にも、彼女が一人で過ごす時間は増えていく。

 ――なぜ、不思議に思わなかったのか。

 決して強くはない彼女。僕はそれを知っている。

 ――なら。

 そんな彼女は、一体いつ泣いていたのだろう?
 
 僕は、知らない。
 
 あんなに一緒にいて、彼女の笑顔しか知らなかった事実に僕は愕然とし、広大な世界にポツンと存在する狭く散らかった部屋の中で繰り返された刹那の時間を、二人の全てだと信じていた自分に嫌気がさした。

 彼女が、泣いている。

 何故たったそれだけのことが、僕にはどうすることもできないのか。

 手を伸ばせば届く筈の彼女に触れることすらできない。

 震える自身の身体を抱く彼女の手は、僕の手を拒むように固く閉ざされているのだ。