階段を一歩上がる度、秋の言葉が蘇り何度も足が止まりかけた。


『フゥ~……大丈夫、大丈夫、大丈夫』


呪文のように繰り返す度その瞬間は着々と近づいていた。
 この廊下を右に曲がってしまったら、俺はどうなるんだろう? 退屈なはずの毎日が少しずつ変わっていく事に戸惑い『きっと、何も変わらない。』と声に出す事で不安を取り除こうとしていた。
 教室に足を踏み入れ、伏せていた目を上げると、静かな教室には彼女1人しかいなかった。
いつの間にか空っぽになった教室はやたらに広く、居心地の悪い空気が漂っていた。


『……』


こんな時、なんて声を掛ければいいんだろう? 不意に目が合い、東雲が恥ずかしげに微笑むと、彼女の周りだけ空気が一変した。


『手紙、ありがとう』


「……うん」


東雲は間をあけて頷き、「ごめんなさい」と言った。


「私なんか相手にされないって分かってるけど、振られてもちゃんと気持ちだけは伝えようって……」


振られても…その言葉に胸が痛んだ。
振られる事を覚悟して俺に手紙を書いてくれた東雲を、まともに見ることができなかった。
 でも、俺の答えは変わらない。告白されて意識しないって言ったら嘘になるし、どこかで変わっていくとしても、東雲とは付き合えない。


『なんで俺なんかに?』


「好きだから……」


『どこが?』


「どこって……無口だけど優しくて、めったに笑わないのに時々ドキッとするくらい笑顔が可愛くて……
空を眺めてる姿とか、めんどくさがりながらも秋くんに付き合ってあげる所とか、逃げずに私と向き合ってくれた所。」


『そう。秋と仲良いんだな?』


「うん……。」


『ちょっと意外』


「色々迷惑かけちゃってるけど、時々相談にのってもらってて、告白しようって思えたのも秋くんのおかけだから」


『そっか……。』


 明るく振る舞っていた秋の顔が不意によぎった。東雲を好きになった理由も、今知った。
どれくらい前から相談にのってたんだろう?
 知らぬまに秋まで傷つけてたとか、何にも見えてないんだな、俺。


「あの!私たち……」


そう呟いて、口を噤んだ。
しばらく待ってみたけど、その先を聞くことはできなかった。


『俺なんか好きになってくれて、ありがとう。でも、ごめんなさい
期待に応えられなくて、ごめん。』


俺は深く頭を下げた。


「いいの、分かってた事だから」


顔を上げ東雲を見ると、俯いたままで……
 長い沈黙が続き、鼻を啜る音に目を向けると、制服のシャツにポタポタと涙が落ち、小さくシミを作っていた。