「――……」
 胸元をギュッと掴んだ。
 大丈夫、涙は流れない。……大丈夫。
 伝えなきゃいけない事が沢山ある。
「……うん。知って、ました。……さっき、お兄ちゃんに聞かされたからってのもあるけど……何となく、そうじゃないかと思ってた……」
『……』
 優人は、黙っていた。恐らく、今すぐにでも電話を切ってしまいたい衝動に駆られているだろう。
 優人、どうか自分を責めないで。
「でも……傷付けたくなくて、優人が私にそれを言えなかった気持ちも分かるから……」
『……』
 傷付けたくなくて取った行動――否、“出来なかった行動”は、結果更なる傷を私に与えてしまった。優人の優しさは正しいものではないと理解していたんだ。……ずっと。
 だけど、何もかもを超越し、それでも愛し続けた、愛し続けたいと思える人――あなたに出会えた私を、どうか誇りに思わせて。
 伝えなきゃ、これが最後だ。
「……今まで、何回も伝えてきたから分かってると思うけど……、私……、優人が好きでした。……大好きでした」
『……』
 過去形で想いを伝えたのは、これで終わりにする為。沈黙の中であなたは、何を想っているの……?
 私の想いよ、どうか届け。
 優人に全てを、届けて下さい。
「……今まで、しつこくしちゃって本当にごめんなさい……でも、ずっとメールを続けてくれたり会ったりしてくれてありがとう……本当に、本当にありがとう……」
 泣くな。笑顔で最後の言葉を。さよならを。
「優人が大好きでした。……幸せになってね」
 どうか、どうか。
 私の想いを――……。






『……俺の方こそ、ありがとう。……ごめん……』






 残された言葉と、残した言葉。
 それは世界中のどんな言葉より、優しく残酷な言葉だった。






 ガチャリと、部屋の扉が開く音がした。
 ああ、忘れていた。三人の存在を。何の呼び掛けもないから、様子を見に来たのだろう。
 私は、部屋の隅で壁に凭れ掛かったまま、微動だにしなかった。この瞳は何を映しているのだろう。
「優人君との電話、何だったの……?」
 母の表情や声色に、戸惑いが先程よりずっと溢れていた。私の様子が遥かに違っていたからだろうか。
 私は感情が何一つ込められていない視線を母に向け、やはり感情の篭らない声で一言、
「優人、彼女がいるんだって。出来たのは最近らしいけどね」
 そう告げた。
「……!」
 言葉を失う、まさに文字通りの三人。事実を悲しむ様子もなく淡々と告げた私に、三人は表情を歪め立ち尽くす。私の冷たい視線を受け取っても尚、三人は何も言わない。三人に腹を立てている訳ではない。感情がないのだ。掛ける言葉すら見付からないのか、沈黙がこの場に流れるけれど、もう何かもどうでもいい。欲しい言葉もない。何もいらない。
「――帰ってくれない?」
 私は冷たく言い放った。
「……っ……! 一人に出来る訳ないじゃない……!」
 今にも泣き出しそうに顔を歪めながら母が言う。
「今は一人になりたいの!! 帰ってよ!!」
 邪魔なんだ、今この場に誰かがいる事は。
「今一人にしたら、何するか分からないじゃない!!」
「何するか分からないって、何をすると思ってるの? 別に何もしない。――いいから帰って!! 暫く一人にして……お願いだから帰って!!」
 激昂して叫ぶ私に、もうどうする事も出来ないと悟ったのか、三人は悲痛な面持ちでこちらを見つめた後、漸く出て行ってくれた。






 独り残された部屋で、静寂が私を包む。
 大丈夫、涙は流れない。……大丈夫。
 優人、ユウト、ゆう、と……。
 あなたは私の全てだった。あなたがいたから私がいた。あなたが私の、生きる力だった。
 もう、話せない。もう、会えない。もう、いない。
 解っていただろう、この結末を。
 私達は恋人同士でもなんでもない。一方的な私の片想い。私のものでもなんでもない。
 大丈夫、だから涙は流れない。……だいじょう、ぶ。






「……ふ……うっ……」






 本当は、大丈夫じゃない。






 ――……優人。






「うああぁぁぁぁぁぁぁぁッ……!!」






 その場に、崩れ落ちた。






 泣き叫ぶ声が、自身の耳に響くけれど。






「うぁぁぁぁッ……あッ……ううッ……うああッ……」






 耳の痛みと、心の痛みが、どれだけ優人を愛していたのか告げていた。






 好きだった。
 優人が、好きだった。






 残された言葉と、残した言葉。
 それは世界中のどんな言葉より、美しく残酷な言葉で。
 ありがとう、と言ってしまえば。
 ごめんなさい、と言ってしまえば。
 一番綺麗に、一番残酷に、終止符を打つ事が出来てしまうから。
 互いに残した同じ気持ちは、二人に、何を残すのだろう。

 あなたが私に残した言葉は、私があなたに残した言葉は、世界も愁える程に、温かく残酷な言葉だった。
 
 悲劇の幕が、漸く、降りていく。