迂闊だった……。
 昨日の内に汽車の発車時刻を予め調べておいたのに。その計算上大体この位の時間にはT校に到着するだろう事も予想しておいたのに。
 ベンチに座り込み、隣に座る理恵ちゃんに聞こえないように、小さく溜息をついた。



 午前十一時頃に私達は最寄の駅K駅で合流し、それから汽車に乗り、一時間掛けて今私達が座っているベンチがある市内の駅・T駅に到着した。
 乗り換える汽車の発車時刻を見て、一瞬言葉を失った。
 ――よ、四十分後……?
 駅にある時計を見ると、その針は十二時十分を指していた。
 間に合うのだろうか……。その不安に押し潰されながら、針をじっと見つめていた。
 待ち時間が四十分もあるのだから、駅内のお店を一通り見て回り、それからはベンチにずっと座り込んでいた。
 理恵ちゃんには聞こえないようにまた溜息をついた。本当に迂闊だった、本当に馬鹿だった。自責の念に押し潰されそうになる心を隠してはいるが、表情は確実に曇って来ていた。
 汽車の時間を調べておいたのに、待ち時間を考えていなかったのだ。その迂闊さを呪いたくなった。
 さっきまであんなに楽しく話していたのに、今はお互いに黙ったままだ。
「……間に合うかな……」
 理恵ちゃんがポツリと呟いた。殆ど独り言のようだったが、その声ははっきりと耳に届けられた。
 しかし私は敢えて返事をしなかった。顔を見る事さえもしなかった。だから彼女が今どんな表情をしているのか分からない。
 その言葉を、自分は何度思ったろう。けれどその言葉を自分が発してしまえば、早くに来られなかった彼女を責めている言葉に聞こえてしまうかも知れない。
 実際に責めているつもりは無いし、こうして来てくれている事に感謝している。
 焦燥感に駆られた今の自分が何か言葉を発してしまったら、それはきっと彼女を責めている言葉に聞こえてしまうだろう。だから何も言わなかった。理恵ちゃんに謝って欲しくもなかったので。
 ただ黙って、時間が来るのを待ち続けていた。



 長かった四十分が過ぎ、漸く汽車に乗る事が出来た。十分程度で着くらしいから、降りてすぐにT校に向かえば、もしかしたら間に合うかも知れない。
 そう思うと、ドキドキして来た。
 優人に、会えるだろうか。
 今日はまだ優人にメールをしていない。着いたらメールをすると、昨日の内に言ってあるのだけれど。
 間に合うか……。
 間に合って優人に会ってしまったらどうしよう……でもやっぱり間に合わなかったら――。
 色々な感情がグルグルと胸中を巡り、窓ガラスに薄っすらと映った自分の顔は、何だか胸中をそのまま映したかのような複雑な顔をしていて、その様子は最早滑稽だった。
 十分はあっという間に過ぎた。市内の駅まで一時間、待ち時間に四十分も要した所為か、とても早く感じた。
 私達は目的の駅で下車し、それからどうしようかと話し合った。――と言うと、T校への行き方が分からない。ここから歩いてなのは分かる、けれど道が……。
 二人共こんな所まで来るのは初めてだから無理もない。
 理恵ちゃんは携帯電話を開いて時間を確認した。その姿を一瞥して、またすぐに視線を地面に戻した。そうやって時間を確認する事すらも、何だか憚られた。
「十三時五分……か」
 間に合うのだろうか……。
 口には出さなかったけれど、お互いに同じ事を思っていただろう。
「間に合うかな……てかT校までどうやって行く?」
「どうしよう……あの人達に聞いてみる?」
 言いながら私がチラリと目をやった先には、T校の生徒若しくは、市内の高校に通っているだろう女生徒が二人、私達の佇む駅に向かって来ていた。
 あの人達もT校の学園祭に行っていたのかも知れない。そう思い、女生徒が駅に来ると、私はその二人に話し掛けた。
「あの、すみません……」



 T校までの道を、丁寧に教えてくれた二人の女生徒にお礼を言うと、二人も頭を下げいえいえと答えてくれた。
 親切な人で良かった、そう思い、教えてくれた道を歩き出した。
 理恵ちゃんはまた時間を確認していた。
 時刻は十三時半を回っているようだ。駅で約三十分も時間を使ってしまっていた。
 急がなきゃ、そう思いT校までの道を歩いていると――一人の男子生徒と擦れ違った。
 その生徒を振り返り、私は足を止めた。あの制服は……。
 それに気付いた理恵ちゃんは、怪訝な表情をしながら足を止めた。そしてじっと一点を見つめている私の視線を辿って、それは先程擦れ違った1人の男子生徒へとぶつけられた。それを視界の隅で捉えたが、彼女の方へ向き直る事はしなかった。否、出来なかった。男子の制服は見た事があるから、あれはT校の生徒で間違いない。
 だとしたら、もしかして――……
「……学祭、もう終わったのかな……?」
 知らない男子生徒の背中を、不安を抱えながら見送りつつ、静かに理恵ちゃんに尋ねた。
 彼女に聞いても知る訳がないとは分かっていても、問わずにはいられなかった。
「わからない……。でも、T校の生徒見たのはまだあの彼だけだし、終わってたらもっとT校の人と擦れ違ってるよ」
 少し自信無さげな言い方だったが、尤もな意見だと思えたので、それもそうかと深くは考えず、再び目的地へと歩き出した。
 途中理恵ちゃんが、
「さっきの人早退なんじゃない? それっぽい顔してたし」
 そう言って来たので、それっぽい顔って……と思わず笑ってしまった。



 私達は、無事にT校に到着した。……したのはいいのだが、明らかに帰ろうとしている生徒が何人かいる。それに学園祭が行われている雰囲気ではない。もしかすると本当に終わってしまったんだろうか。
 私達が見ているのは、校舎の外観と自転車置き場だけだ。なのに片付けが行われている雰囲気が何となく漂っている気がするのは、気のせいだろうか。
「どうする? 中に入ってみる……?」
 雰囲気で終わりを悟っているのか、理恵ちゃんが躊躇いがちに尋ねて来る。
「どうしよう……」
「桜井さんにメールした?」
「あっ、してない……! 取り敢えずメール送ってみるね」
 すぐに携帯電話を制服の右ポケットから取り出して、優人宛てにメールを送る。
 着いたよ、と――。
 もしも終わってしまっていて片付けをしているなら、恐らくすぐに返事は来ない。優人に会うのを凄く緊張している所為で、何だか返事が欲しいような欲しくないような、複雑な気持ちになっていた。
 だが、折角来たのだからやはり会いたい。純粋に学園祭を楽しみたいとも思っていたのに……。
 どうしようと困り果てている間にも、校舎から生徒がどんどん出て来て帰宅し始めている。近くにある自転車置き場にも人が集り始めたので、遠慮がちにその場から少し離れる事にした。
「返事、……来ない?」
 右手に持ったままの携帯電話を、少しだけ手首を捻りこちらにディスプレイを向けて、それを一瞥した。そうしなくても来ていない事は分かり切っていたが。もし受信しているなら、音を聞き取れなくても振動して分かるから。
「……うん、来てない」
 声も表情もどんどん暗くなる。校舎から出て来る生徒達の様子を観察しながら、暫くは黙っていた。
 ここに到着した頃には既に十四時を回っていたから、やはり、もう……。
 自転車を漕ぎながら帰宅して行く生徒にチラチラと見られたが、私の中に渦巻く負の感情が、恥ずかしく思う気持ちよりも勝ってしまっていた。



「……帰ろうか」



 そうポツリと口にした途端、理恵ちゃんが「えっ!?」と振り返った。
「せっかくここまで来たのに! せめて会ってからにしなよ!!」
「……」
 私だって、そうしたい。
 T校を目の前にして言うべき言葉じゃなかったのは分かっているけれども、優人からの返事が無いまま会うのは何だか嫌だった。優人が必ず返事をくれる事も、今は単純に片付けで忙しいから返事が出来ない事も重々に承知しているつもりだ。だから、返事がすぐに来ないからと言って、嫌われているかも知れないなどという短絡的思考に陥っている訳ではない。返事を待っている間にばったりと会ってしまうのが嫌だったのだ。
 それに優人は「来てみなよ」と言っただけで、“会おう”とは言っていない。口に出せば屁理屈言うなと怒られるかも知れないので、それは心の中だけで留めたが。
「……取り敢えず出て来た生徒誰でもいいから、終わったのかどうかだけでも確かめよ?」
 その言葉に驚いて、私は理恵ちゃんの方を見た。ここまで来たのだから、どうしても私達を会わせたいのだろう。その気持ちが凄く伝わって来たので、心の中で彼女に感謝しながら、うん、と頷いた。



 出て来た生徒を呼び止め、理恵ちゃんが学園祭が終わったのかどうかをその生徒に尋ねた。やはりもう終わっていて、今は片付けを行っているという。それを聞いた途端、私は少し俯いた。自分達は何の為にここまで来たんだろう、そう思わずにはいられなかった。
 未だに、優人からの返事はない。
「――やっぱり終わってたね。帰ろうか」
「あたしが早く来られれば良かったね、ごめんね……」
 言った瞬間にしまったと思ったが、もう遅い。彼女に謝らせたかった訳じゃないのに……。
 終わってしまっていた事に寂しくなった。自分達の行動が虚しくなって、会いたいのにいつも会えない事に何だか悲しくなった。
 そうして思わず出た言葉だったのだけれど、理恵ちゃんにはそんな風には聞こえないだろう。
「ううんっ……! 理香ちゃんの所為じゃないよ! 来てくれただけでも嬉しかったよ! それに優人がここに通ってるんだって分かったから、それだけでも嬉しい。いつもは凄く離れた場所にいるけど、今だけは近くにいるし」
 そう言って理恵ちゃんににこっと笑い掛けた。
 それでも納得がいかないのか、うーん……と唸るような声を出していたけれども、雪ちゃんがいいなら、と次第に渋々納得したようだった。
 会えない事は凄く寂しいけれど、今日を逃したからと言って、もうずっと会えない訳じゃない。
 まだこれからチャンスがあるかも知れないし、それに会えなくても今は近くに優人がいるんだって考えると、それだけで幸せな気持ちになれた。
 いつかきっと。
 きっと会える日が、来るから。