ほんの数時間前に、ドキドキしながら登った石段。
だけど、今の気持ちは正反対だった。
さっきの、私に触れた稜君の表情と言葉が、どうしても頭から離れない。
もう頭の中は、ゴチャゴチャだ。
「真っ暗だね。足元、気を付けてねー」
だけど目の前の稜君は、もうすっかりいつも通り。
茶色い髪をフワフワと揺らしながら歩く彼の背中を、じっと見つめた。
そうしたところで、私の頭の中に浮かぶたくさんの疑問が解決する事は、当然ないんだけど。
「転げ落ちたら、稜君避けてね」
誤魔化すように笑いながら、そんな冗談を口にしてみる。
それなのに……。
「避けないよ~。俺、男だもん! 美月ちゃんを受け止めるくらいの力あるよー?」
そう言って、楽しそうに笑うから。
“おねぇーの事が好き?”
“もし好きなら、あの甘い香水の香りは、誰の香り?”
“好きな子にだけ、触れるんじゃないの?”
“それなら、さっき私に触れたのは、どうして――……?”
頭の中に浮かぶたくさんの疑問を、あなたに全部ぶつけてみたいと思ってしまう。
ギューっと軋む胸に、そっと手を添えた瞬間、目の前を歩く稜君が、静かに私に話しかけたんだ。
それは、さっきまでの楽しそうな口調とは全く違うもの。
「美月ちゃんは……泣かないんだね」
「え?」
「いや。あーゆー時、女の子って泣いちゃうのかなぁって思ってたから」
少し俯いて、言いにくそうにポツリポツリと口にしたのは、きっと秀君の事。
「私ね、」
「うん」
「人前で泣くの、苦手なんだぁ」
「……」
「泣きたい時もいっぱいあるけど、人に弱い所を見せるのって苦手」
小さくポツリと言葉を落とした私に、稜君は少し間を置いて、
「それは、誰に対しても?」
ゆっくり振り返ると、私の目をじっと見据えた。
その瞳に、また胸が小さく軋む。
彼の真剣な表情に、こんなにも心臓が反応してしまうのは……。
――理由は、わかってる。
だけど、それに気付かない振りをして、私は少し笑った。
「うん。誰に対しても。家族でも、友達でも。たけど、彼氏には……時々泣き顔も見せるかな」
最後に少し冗談を交じえた私に、稜君は“そっかぁ”と、下を向いて小さく呟いた後、もう一度パッと顔を上げて、何故かホッとしたように笑ったんだ。
「良かった!」
「え?」
“よかった”って、何が?
「だってさー、俺が頼りないから泣けなかったのかなぁとか、ちょっと思ってた!」
「あ! 違う違う! そういうんじゃないよ」
「うん。だから、それを聞いて一安心!」
そのまま、またにっこり笑うと、再び前を向いてゆっくり歩き出す。

