「・・・ムードなんてなくていいんだから、それでいいわ。この暑いのに、なんでラーメン、とは思うけど・・・」
折角化粧を直したのに、また汗をかくわけね、とうんざりしていたら、あははと笑ってヤツが促した。
「じゃあ行くぞ。俺、お前の家の近くの王将行きたい」
「え?ここら辺じゃダメなの?」
私は慌てて聞き返す。何だってわざわざ私の部屋の近くまでいくのよ。もうさっさと終わらせたいんだけど、そう思って。
だけど斎は既に歩き出しながら振り返って言った。
「だって美味いラーメン出す店って知ってるのに。いいから来いよ、あそこは銀行も近いだろ」
「ちょっと・・・!」
抗議をしようにも、斎はスタスタと歩いてしまっている。もう声は届きそうになかった。・・・くそ、あいつめ。私はムスッとして仕方なくヤツの後を追って駅前に向かう。
確かに、斎はあそこのラーメンが好きだった、と思い出した。思い出のものを全部捨てたって、あの部屋に住んでいる限り斎は消えてくれないと判っていた。
それになりに長い付き合いで、部屋だけでなくヤツの影はいたるところにあるものだ。
部屋を一歩出ると二人で行った色んな店がいつでも見えるからだ。斎は目立つので、一人で食べに行くと「あの男前の彼氏はどうしたの?」と必ず聞かれる羽目になる。
それが面倒で、別れてからの私は外食は百貨店の近くで済ませるようにしていたのだ。
・・・引越しも、本気で考えなきゃね。ちらりと斎を見た。こいつから返ってきた80万もあるし。実は少しずつではあったが、もっと安くて百貨店に近い部屋を休日ごとに探してはいたんだけれど。



