「今日はありがとうございました」
 裕子は乾と目線を合わすことが出来なかった。
 裕子自身、予期しないことではなかったが、彼女は、まだ答えを用意出来ずにいた。
 芽生え始めたマイクとの愛を育みたい裕子であったが、母親を思う娘としての愛情が、乾の申し出を断れずにいた。
 乾の車を見送った後、玄関を入ると母親が小走りでやってきた。
 「車の止まる音がしたから、乾さんは?」
 「送って頂いたけど、もう帰ったわ」
 「上がってお茶でも飲んでもらったらよかったのに」
 母親は残念そうに呟いた。
 裕子はそれには答えず、
 「魚の塩焼き状態だから、シャワーを浴びてくるわ」
 と言いながら着替えを取りに二階に上がった。
 シャワーを浴びながら、彼女は乾が最後に言った言葉が幾度も蘇り、頭の中からかき消すように勢いよく長い髪を洗った
 裕子が居間に戻ると、母親が夕食をテーブルに並べながら、
 「ちょっと早いけど、夕食にしようと思って。裕子もお腹が空いているだろうし」
 「お昼に船の上で食べただけで、もうぺこぺこ」
 母親はしきりに話題を乾に向けてきた。
 「母さん、彼は六歳も年下だから無理よ」
 「そうかなぁ。いい青年じゃないの」
 「いい人だとは思うけど」
 「彼、裕子に好意を持っているように思うけど」
 裕子は忙しく箸を動かし、母親の問いかけに聞き流す素振りを続け、彼女は母親にも本心を告げられない自分自身の優柔不断な心を責めるしかなかった。
 
八月に入ると本部から短期受講の大学生や高校生の更新手続き状況について頻繁に電話がかかった。
 夕方から混雑するほど賑わっていた受付カウンターも授業が始まると引き潮のように閑