1991年8月中旬、夜中晴久がいつも通りいろは坂を走って、パノラマレフトハウスで休憩していると、服部塾のメンバーが晴久に話し掛けた。桐山雄吉「あなたが、いろは坂最速のシルエイティのドライバー?」晴久「いや、自分ではそうじゃないですけど、周囲は最速だって言ってるし」桐山「そう謙遜するなよ、あれだけのドリフトかまされたらすげーよ」桐山「是非、あなたとバトルしたい?どんな条件のバトルも受ける」晴久「バトル、別にいいですけど」桐山とのバトルが決まった。来週土曜、夜9時、いろは坂下りの1本勝負、バトルの情報は走り屋じゅうに広まった。渉「兄貴、情報が入った。服部塾のメンバーがいろは坂でシルエイティと来週土曜バトルをやるそうだ」健次「シルエイティとバトルか」健次「服部塾のお手並み拝見か、ギャラリーしに行くぞ、渉」渉「あぁ」、翌日、学校で、篠原「晴久、聞いたか?来週土曜、服部塾のメンバーがシルエイティといろは坂でバトルするらしいぞ、見に行こうぜ」晴久「あぁ、行くよ」篠原「服部塾って、プロレーサーを輩出してるらしいな、スゲーレベル高いんだってさ」晴久「ふーん、レーサーか」土曜日、夜、多くのギャラリーが集まっていた。篠原や池上、池上の勤務先のガソリンスタンドの店長、酒井浩介、中村兄弟率いる赤城ロータリーは中村兄弟と渉の後輩で初村好博、服部塾からはバトルの相手である桐山、服部塾長、鈴木隆行が来ていた。ギャラリー「おい、見ろよ、赤城ロータリーの中村兄弟じゃないか?」ギャラリー「ホントだ!」渉「それにしてもここの下りは凄いな、上級者専用の峠だな」健次「トリッキーなコースだぜ、下手な走り屋では通用しないだろう」、ギャラリー「服部塾長も居る?対戦相手の桐山じゃないか?服部塾ナンバー3」