リトルリーグの全国大会から5年後(1991年)8月某日夜、栃木県日光市いろは坂に多くのギャラリーが集まっていた、その中で地元の走り屋達がドリフトを決めていたがどれも突っ込みが若干甘くコーナリングにやや難がある。その時、遠くの方から、エンジン音が聞こえてくる。ギャラリー「おい、早くどけろ、来るぞ」、走り屋が車を移動させると、池上伸太「よーく見とけを篠原」篠原光太「おぅ」、1台のスポーツタイプの車が姿を現した。ギャラリー「来た来た来た、シルエイティだ」シルエイティがいろは坂のきついコーナーを4輪ドリフトで白煙を出しながらガードレールギリギリで抜けて行った、池上「やべえ、俺たちのレベルとは全然ちがう」酒井英治「ありゃぶったまげたー、セミプロ級だあれは」池上「シルエイティのドライバーが誰かは誰も知らないらしいからな」篠原「そんなもん、現役を引退したレーサーに決まってるじゃないですか」池上「さぁどうかな」、群馬の渋川からギャラリーしに来た、中村兄弟もいた、中村渉「かなり馬力ありそうだな、あれは純正205馬力の180の面影は全くないな、どうみる兄貴?」中村健次「コーナからの立ち上がり加速を見る限りMAX400馬力は出てるかな、相当なチューニングだな、カウンターステアの蛇角が若干大きいのか難点だか400馬力であれだけ上手にドリフトを決めるとは相当なテクニックを持ってるな」服部塾もギャラリーしに来ていた。渉「あいつら、服部塾の」健次「やはりギャラリーしに来てたか、服部塾長はかなりアタマのキレる奴だな」、健次「渉、近い内に服部塾と交流戦やるぞ」渉「マジかよ兄貴」、シルエイティのドライバーはこの物語の主人公、佐藤晴久、高校2年生、元少年野球(リトルリーグ)の全国大会とシニアでの優勝投手、中3の全国大会決勝で優勝した経歴がある。しかし突然引退した、故障ではない、数十分後、晴久がシルエイティに乗って家に帰ってきた。龍之介「野球よりこっちの方がセンスあるんじゃないか、あれだけのチューニング自分でやれるなんて」晴久「まさか」